池袋公判

父親の上原義教さん、意見陳述全文

3、真菜の人柄について

真菜は、仕草から性格まで、私にそっくりでした。幼少期、とても恥ずかしがりやで、初対面の人と会うと、母親の後ろに隠れてしまうような子供でしたが、とても私になついていて、仕事に行く時も私のあとを追いかけてきたことを思い出します。

5人きょうだいの真ん中で、上と下に挟まれて遠慮がちではありましたが、10代の頃から家のことを色々と手伝ってくれ、妹や弟の面倒をよくみる家族思いの娘でした。スポーツが好きで、中学校ではハンドボールや陸上で代表になり、活動的な中学校時代を送りました。高校では、友だちもたくさんでき、楽しく充実した3年間を送っていました。

また、真菜は母親に似て頭のいい子でした。成績も優秀で、高校の先生から、「数学が得意だから、数学の先生になれる学校に進学させてあげて」と言われていました。しかし、真菜は、家庭の経済的事情を酌んだようで、自ら希望して歯科衛生士の専門学校に進学しました。そこでも成績優秀で、学費を抑えることができ、卒業後は歯科衛生士として日々真面目に働いていました。

それでも、真菜には「自分は優秀なのだ」と偉そうにするようなところは全くなくて、本当に控えめで謙虚な性格でした。人とのつながりをとても大事にし、人を悪く言うことがなく、友達が多くて、学校の先生からも信頼がありました。私は真菜を悪く言う人を見たことがありません。

一方で、私に似て頑固な一面もありました。きょうだいがたくさんいたので、誰かが悪いことをすると連帯責任のように全員が怒られることがあったのですが、そいうことに納得がいかなくて、「私は悪くない」とハッキリと意志を伝えることもありました。そういう面も、真菜の精神的な芯の強さだったのかと思います。自分が決めたことは最後までやり通す子でした。

4、真菜の結婚について

小学校の教員だった二女が2009年5月、25才という若さで白血病のためになくなりました。当時、真菜は21歳でした。5人の子どもたちの中で、二女がリーダーシップを取っていたような面があり、私たち家族は深い悲しみに包まれました。何よりも家族を優先して守っていくのだ、と常に思っていた私にとって、まだ25歳の娘が親より先に亡くなったという事実は、想像を絶するような辛さでした。真菜は二女ととても仲が良かったので、真菜自身も相当なショックを受けていたはずですが、自分のことよりも私のことをとても心配して気遣ってくれていました。

ですから、真菜の結婚については、当初、反対の気持ちでした。二女を亡くしていましたし、真菜は3番目の娘だけど、私によく似ていてとても優しく接してくれていたので、側にいてほしかったのです。私の年代からすると、「本土は遠い」というイメージもありました。

でも、拓也君に会って話をしてみると、拓也君はとてもいい子で、優しい人だとよく分かったし、私の妻と拓也君のお母さんが高校の同級生だったことが分かり、ご縁を感じたので反対しませんでした。真菜は、「将来的には沖縄に帰りたい」「東京みたいなところで子育てしたくない」と言っていましたが、私は、「拓也君は長男だから、よく話をするように」と言い含めて、送り出しました。

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