池袋公判

夫の松永拓也さん、意見陳述全文

翌日、警察署へ運ばれた二人の元へ赴くと、葬儀屋から、莉子の顔の修復作業をするかどうか尋ねられました。できれば修復してあげたかったのですが、損傷が酷いので3日間も離れ離れになると言われ、断腸の思いで断りました。幼い3歳の娘を一人にするなんて可哀想で、一緒に居てあげたいとしか考えられませんでした。

そして二人を家に送ってもらい、自宅に並べられた2つの棺の蓋を交互に開けては、ずっと語りかけました。真菜には、出会ったときの話から始まり、どれだけ愛しているのか、感謝しているのかを。莉子には、私達の子供に生まれてきてくれたこと、沢山の幸せをくれたことに、ありがとうと。二度と出来ないと思い、大好きだったノンタンの絵本を、何度も読み聞かせしました。眠れるはずもなく、深夜に「ちゃんと莉子の顔を見てお別れを言いたい」と思ってしまい、顔の布をめくろうとしました。しかし、少しめくっただけで分かりました。莉子の顔は完全に陥没していました。全部見たら私の精神が壊れてしまうと察知し、諦めました。最後のお別れなのに、娘の顔すら見ることが出来ない無念さは計り知れないものでした。

火葬場の都合で、葬儀まで5日間ありました。葬儀の日に被告人側の親族から謝罪の申し入れがありましたが、精神的に疲弊しきっている上、葬儀の準備で多忙を極めていた為お断りしました。加えて、飯塚被告が「アクセルが戻らなかった」旨の供述をしていると聞いており、車が悪いと主張するのに謝罪したいという意味が、私には分かりませんでした。

葬儀には沢山の人が来てくれました。一人ひとり、花を一輪ずつ二人の棺に入れていき、真菜と莉子は次第に花に埋もれ見えなくなりました。私は二人とお別れしたくなくて、何度も二人の棺を行き来し、「愛している、ありがとう」と泣きながら伝え、傷だらけのおでこに口づけをしました。棺の蓋を閉められたくなくて取り乱し、何度も二人の棺を往復しました。その後、二人は骨になって帰ってきました。

5、事故後の活動

時速約96キロの車にはねられた自転車は真っ二つに割れ、真菜だけ50メートル弱も吹き飛ばされたと聞きました。あんなにいつも一緒にいた二人が、最後の最後に離れ離れになってしまった。どれだけ無念だっただろうか。どれだけ痛く、怖かっただろうか。守ってあげられなかった。「生きている意味がない。自分も死んだほうが良いのではないか。」と自問自答し続けました。

しかし、愛する二人の命だからこそ無駄にしてはいけない。そう思うようになり、葬儀後に記者会見に応じました。交通事故の悲惨さを世の中の方に現実的に感じてもらえば、巡り巡って交通事故でなくなる命を一つでも減らせるのではないか、そうすれば「二人の命を無駄にしなかったよ」といつか二人に言えるのではないか。そう思っての行動でした。

その数日後、初めて何時間か眠れた時に夢を見ました。私が自宅のドアを開けると真菜が居て、「どうしてここに居るの?」と尋ねてきました。私は、二人が亡くなったのは夢だったと勘違いして、嬉しくて真菜に抱きつくと、「一人にしてしまってごめんなさい、あなたに出会えて幸せだった」と言われました。莉子は一緒ではないのかと尋ねると、「莉子は、この世に顔を置いて行きたくないと言って泣くので、困っている」と言われました。あまりの衝撃で目が覚めたあと、胸がえぐられるような想いでした。

その後も、悲嘆と葛藤と苦悩の日々でしたが、「二人の命を無駄にしたくない」という想いは変わらず、関東交通犯罪遺族の会に所属し、国土交通大臣へ要望書を提出したり、内閣府主催の会議に参加したりして、交通事故撲滅活動を続けています。

一方で精神的に不安定になり、眠れない日が続いています。時折、手の震えが止まらなくなります。今でも月に一度、被害者支援都民センターに赴き、臨床心理士のカウンセリングを受けています。

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