池袋公判

夫の松永拓也さん、意見陳述全文

その年の11月4日、これで駄目だったら諦めようと心に決め、3度目の交際を申し込みました。真菜は、「今日は何日か知っている?11月4日だよ。『いいよ』の日だよ。」と照れくさそうに言い、交際を受け入れてくれました。言葉で言い表せないほど嬉しかったです。

その後も遠距離で交際を続け、平成26年5月にプロポーズしました。「頼りない男だけど、あなたを幸せにしたい気持ちは誰にも負けません」。そう伝えると、真菜は「嬉しい」と言い、泣き出しました。その様子を見て、彼女を幸せにしようと心に誓いました。

結婚の許可を頂くために真菜のご両親の元へお伺いすると、快く受け入れてくださり、本当の家族のように接してくれました。しかし、遠く離れた東京へ送り出すという苦悩があったと思います。私は、真菜のご家族に心から感謝しました。

翌年11月4日に籍を入れると、真菜と千葉で生活を始めました。仕事から帰ると、真菜が「おかえり」と言って出迎えてくれる。遠距離が当たり前だった私達にとって、この日常は本当に幸せでした。

私は腎臓が悪かったのですが、彼女は「私が治してあげる」と宣言し、腎臓にいい料理を調べて実践してくれました。そのおかげで私は目に見えて元気になりました。それ以外にも、私は彼女の人間性、他者に対する愛の深さから多くを学び、精神面でも成長させられました。彼女が遺してくれたものは、今もなお私の中で生き続けています。

3、娘 松永莉子について

平成27年のとある日。私が仕事から帰ると真菜が飛びついてきて、子供を授かったことを伝えられました。歓喜の声を上げながらリビングで小躍りをし、喜びあったことをよく覚えています。

少しずつ大きくなる真菜のお腹に、毎日一緒に話しかけました。真菜はお腹を愛おしそうに撫でながら、「ベビーちゃん、早く逢いたいね」と言い、心から幸せそうな顔をしていました。真菜は悪阻がひどく、一日中動けない日もありましたが、新しく生まれてきてくれる命に思いを馳せ、二人で協力しながら日々を過ごしました。

翌年の1月11日、立ち会い出産を選択した私は、真菜と共に分娩室にいました。真菜はとても我慢強い人なので声一つ出しませんでしたが、痛みに耐えながら私の手を力いっぱい握り、私も握り返しながら「頑張れ、頑張れ」と声をかけ続けました。そして、莉子も頑張って生まれてきてくれました。3170グラムの小さな命を胸に抱き、真菜は「かわいい」と涙を流しました。次に私が莉子を抱きしめると、小さな手で私の指を握り返してくれました。その温もりを感じながら、命が生まれることはなんて神秘的なのだろうか。我が子というのは、なんて愛おしいものなのだろうか。そう感じ、私も涙を流しました。そして、命をかけて莉子を産んでくれた真菜に感謝しました。自分が父親になったことにまだ実感が沸かないものの、「この二人を守り、絶対に幸せにする」と心に誓いました。

「莉子」という名前は、真菜と二人で考えました。香りのいい花を咲かせ、人々を癒やす、ジャスミンの花が由来です。花言葉は「愛らしさ」です。ジャスミンのように可憐で、人から愛される。そんな人になってほしいという願いを込めて、ジャスミンの日本語名である「茉莉花」から漢字を用い、莉子という名前に決めました。

真菜に似た恥ずかしがり屋で、優しく、愛らしい女の子に成長しました。そして、とても賢い子でした。お友達とおもちゃの取り合いになっても、「貸して」と言われると「いいよ」と貸してあげる子でした。文字が読めないのに、家にある何十冊もの絵本を全て記憶して音読できました。真菜が体調を壊して寝込んだ時には枕元に行き、「お母さん大丈夫?莉子のこといっぱい抱っこしたから疲れちゃったの?」と本気で心配するような子でした。仕事から帰ると必ず莉子が玄関で待っていてくれて、「おかえりなさい」とお辞儀をしてくれるのが可愛くて、嬉しくて、幸せでした。身長92センチ、体重13キロにまで成長し、出来ることも増え、日々成長する喜びを感じていました。

会員限定記事会員サービス詳細