「志士仁人…」渋沢栄一直筆の書 水戸・弘道館で初公開 - 産経ニュース

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「志士仁人…」渋沢栄一直筆の書 水戸・弘道館で初公開

水戸市で見つかった渋沢栄一直筆の書(いずれも弘道館事務所提供)
水戸市で見つかった渋沢栄一直筆の書(いずれも弘道館事務所提供)

明治、大正期の実業家、渋沢栄一(1840~1931)が大正5(1916)年の水戸訪問前、地元有力者に贈った直筆の書と関連書簡が水戸市の個人宅で見つかり、同市三の丸の弘道館で一般公開されている。書は、渋沢の経営哲学「道徳経済合一説」に影響を与えた論語の一節を揮毫(きごう)したもの。書簡とともに所蔵者の祖父に贈られたものと判明した。公開は12月19日まで。

渋沢は大正5年5月28~29日に水戸を訪問。市内を見学後、弘道館で講演を行った。70歳を機に実業界の第一線から身を引き、活動の大半を占めていた社会事業についての講演だったが、冒頭、水戸学に傾倒した青年時代や、水戸徳川家出身で徳川幕府「最後の将軍」となった慶喜に仕えたことも語ったという。

書と書簡は、水戸市の後藤卓巳(たくみ)さん宅で保管されており、後藤さんの祖父で当時の太田税務署(現茨城県常陸太田市)に勤めていた栄寿(えいじゅ)さんに届けられたもの。書は縦141・6センチ、横36・2センチで、後藤さんが大学生の頃、掛け軸にした。

「志士仁人 無求生以害仁 有殺身以成仁」(=志士や仁者は生きるために博愛の徳に背くようなことはしない。命を捨てても人の道をまっとうするものだ)と、繊細な書体で記され、「大正丙辰首夏(へいしんしゅか、5年初夏)」や渋沢の号である「青淵(せいえん)」と続き、「澁澤榮一」の落款が添えられている。

今年4月、後藤さんが弘道館に書を持参。さらに弘道館の求めで関連資料を自宅で探したところ、5月に書簡を見つけたという。差出人は渋沢を慕う人々により組織された「竜門社」(渋沢栄一記念財団の前身)の関係者の鈴木正寿だった。

書が渋沢栄一による直筆であることを裏付けた書簡
書が渋沢栄一による直筆であることを裏付けた書簡

「かねてからご依頼いただいておりました(渋沢)男爵の書が出来上がりましたので、お送り申し上げます」といった内容で、封筒裏には渋沢が晩年を過ごした「東京府下飛鳥山」(現東京都北区)や「渋沢家内 鈴木正寿」の記述も確認できる。揮毫の経緯が分かる資料が見つかるのは珍しく、書が渋沢直筆であることをこの書簡が裏付けた。

渋沢との関係は不明だが栄寿さんは、ジャーナリストの徳富蘇峰など幅広い人脈を持つ地元の有力者とみられ、弘道館事務所の小圷(こあくつ)のり子主任研究員は「渋沢講演の段取りなど重要な役割を果たした経緯もあり、揮毫をお願いしたのでは」と話す。

また、封筒に切手が2枚貼ってある点に着目し、書簡と、渋沢直筆の書が同封されていた可能性を指摘する研究者もいる。

小圷さんは「水戸人への揮毫に際し、冒頭に『志士』という言葉を入れたことに幕末の水戸藩に対する渋沢の思いが凝縮されていると思う。多くの方にごらんいただきたい」と話している。(森山昌秀)