論説委員 日曜に書く

太子に学んだ経営の神様 山上直子

今年は聖徳太子の1400年遠忌にあたる。

ゆかりの寺院での法要に始まり、その生涯や信仰、実像を追う「和をつなぐ」を紙面やウェブサイトで連載中だが、思った以上に反響がある。背景には、誰もが知る歴史上の偉人というだけにとどまらない太子の魅力があるのだろう。古くは最澄(天台宗の宗祖)や親鸞(浄土真宗の宗祖)も信奉していた。

そして現代ではこの人も。経営の神様と呼ばれ、優れた思想家でもあった松下幸之助(1894~1989年)である。

十七条憲法

まず昭和20年8月16日の午前にさかのぼる。幸之助は大阪・門真の松下電器産業(現パナソニック)の一室に幹部社員を集め、敗戦のショックから仕事が手につかない彼らを前に急遽(きゅうきょ)、「臨時経営方針」を語った。これまでの軍需産業がすべて復興産業に転換するだろうという見通しを述べ、取り組む心構えについてこう言ったという。

「この至難な仕事に成功を収めるには、これを適切に処理遂行しうる心がまえと知識、才能をもっていなければならない。その知恵才覚はしからばどうして生まれてくるか。それは三千年来培った真の日本精神を把握し、これにもとづいて的確な判断を下すことである」(『日本と日本人について』PHPビジネス新書)。

以来、幸之助は「日本の伝統精神」について考え続けた。やがて次の3つを挙げる。

その一「衆知を集める」、その二「主座を保つ」、その三「和を貴ぶ」である。

実はいずれも天皇制と、聖徳太子が定めたとされる「十七条憲法」と深くかかわる。例えば二の主座とは天皇のこと。そして一の「衆知」は憲法の第十七条「夫れ事独り断(さだ)むべからず。必ず衆と論(あげつら)ふべし」から、その三は第一条の「和を以て貴しと為(な)し」からだ。

四天王寺との縁

「人間の本質に即し、人情の機微をうがった、まことに高尚で立派なものだと思います。そしてこの十七条憲法には、仏教の精神も儒教の考え方も生かされている」(同書から)

実際、十七条憲法は現在の憲法とは趣が違い、人や役人の道というべきものを説いた内容だ。それを理解した上で自身の考えに取り入れ発展させた。

幸之助は多くの寺院に多額の寄付をしたことで知られるが、太子建立の寺として日本書紀にも登場する四天王寺(大阪市天王寺区)にも西大門(極楽門)や茶室などを寄進している。

「歴史的に地元の民衆が支えてきた、いわば大阪のシンボルとしての四天王寺ということが大きかったのでは。ご自身も大阪の方ですから」というのは、学芸員で同寺勧学部文化財係主任の一本崇之さん。

第百一世管長、出口常順との親交が厚く信徒総代も務め、昭和41年度には「繁栄と平和」と題した講演を行う。このとき太子の事績に触れて、日本には外国に負けない「日本魂」というものがあり、「その日本魂のうちの大きな一つは、私は和の精神だと思います」と述べた。

日本精神こそ

興味深いのは昭和39年に「聖徳太子の十七条憲法と四天王寺縁起をパンフレットにして100万部くばりたい」と言っていることだ。PHP研究所によると結局、実現はしなかったそうだがどんな思いがあったのか。

こんなことも言っている。

日本人には〝和を貴ぶ精神〟すなわち平和愛好の伝統というものがある。ところが不幸にして日本は何度か戦争をし、太平洋戦争によって悲惨な姿に陥ってしまった。大いに反省しなければならない。ただ戦争そのものを憎むあまりに、本来平和を愛好する国民ではなく、戦争を好む軍国主義的な国民ではないかという考え方も一部に生まれてきたが、それは長い歴史を知らないのだ―と。

現代に生きる聖徳太子を追ううちに、松下翁の日本人論にたどりついた。

昭和39年の東京五輪を前に米有力雑誌「ライフ」が日本特集を組んだ。幸之助の写真とともに「最高の産業人、最高所得者、思想家、雑誌発行者、ベストセラー作家」の5つの顔を持つ人物と紹介されている。今も学ぶべきところがあると思うが近年、この経営の神様を知らない若者が増えているそうだ。

政治も企業も不祥事がいっこうになくならない。「無意識のうちに日本精神が顕れてくるようでありたい」と松下翁が願った世界はまだ遠い。(やまがみ なおこ)