話の肖像画

デザイナー・コシノジュンコ(81)(10)憧れのパリで一流のすごさ実感

初めてパリを訪れたのは、東京五輪が開催された昭和39年。その後、パリとは切っても切れない関係となる
初めてパリを訪れたのは、東京五輪が開催された昭和39年。その後、パリとは切っても切れない関係となる

(9)へ戻る

《東京五輪が開催された1964(昭和39)年、初めてパリを訪れるチャンスがやってきた。服飾関係者ら数十人が参加する欧州視察に誘われたのだ》


オープンしてから4年ほどたった小松ストアーの店は、かなり繁盛していました。でも、まだまだ〝素人〟だったうえ、信用と関係性だけでここまでやってきていたことにも気づいていました。世間知らずのまま店を続けることは無理だ。そう思いました。

外の世界を見てみたい―ファッションにおけるパリのレベルの高さを体感してみようと、これを機に店を閉めることを決断しました。

最初に降り立ったのはパリ北駅。とても大きな駅だったけれど、外を見てみると、薄暗くて問屋街のような雰囲気。第一印象は「なんだか上野に似てる」。本や雑誌で見ていたパリとは、ちょっと違っていたことを覚えています。パリへの憧れが大きくて、想像が膨らんでしまっていたのかもしれません。

パリでは、一流のメゾンを見て回りました。当時、オートクチュール(高級注文服)の世界では「クリスチャン・ディオール」がナンバーワン。ディオールで服を作るために世界中のセレブたちが訪れ、おこがましくて店に入るのも緊張したくらいです。

ディオールでは特別にオートクチュールのショーを見せてもらえた。メゾンは、いつでもショーができるようなシステムになっていた。観客は私たちを含めて10人いるかいないか。音楽もないなか、コレクションをまとったマヌカン(モデルの販売員)たちが番号札を持って出てくる。客が「何番が見たい」とリクエストをすると、再度出てきてくれる。その服が気に入ると、注文をする―というシステムで、計20着くらい見ましたね。各メゾンのオートクチュールは必ず3、4人のマヌカンが常に専属でいるのが常識でした。

ディオールのほか、ジバンシィやシャネルにも足を運んだ。そこで驚かされたのは〝質の高さ〟です。スーツやジャケット、イブニングドレス―どれも本当に素材がよくて。美しいシルエットにきれいな縫製。一流のすごさを感じました。


《初めてのパリからおよそ7年後に展示会に参加する。時間をかけた理由とは―》