【話の肖像画】デザイナー・コシノジュンコ(81)(9)21歳、背伸びして銀座に出店(1/2ページ) - 産経ニュース

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話の肖像画

デザイナー・コシノジュンコ(81)(9)21歳、背伸びして銀座に出店

デビューを果たしたころのコシノジュンコ氏。当時からおかっぱのヘアスタイルを貫いている
デビューを果たしたころのコシノジュンコ氏。当時からおかっぱのヘアスタイルを貫いている

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《装苑(そうえん)賞受賞後、人脈が広がった。デザイン画を持ち寄ったり、ファッション談議をしたり…。さまざまな人と交流を重ねた》


装苑賞に応募してから大きく変わったことは、文化服装学院以外の人と知り合えたことです。洋裁学校の生徒だけでなく、大学生とも仲良くなりました。そこには当時、多摩美術大の学生だった三宅一生さん(イッセイミヤケ)も。

一生さんとは互いに影響しあっていて、刺激的でした。ファッションやデザイナーの地位を向上させることを目的とした研究会も立ち上げた。今は当たり前となっていますが、当時は「デザイン料」というものがなかった。服などのデザインはタダで行うことが多かったのです。「でもそういうのはおかしいよね」と若手デザイナーたちが声を上げました。


《装苑賞受賞をきっかけに、文化服装学院在学中の1960(昭和35)年、銀座の小百貨店「小松ストアー」(現在のギンザコマツ)に出店する》


装苑賞を受賞すると、受賞者として雑誌や本に名前が記載されます。そこで、それを持って小松ストアーに足を運び、「これ私なんです。おたくで仕事をさせてもらえませんか」というと、興味を持っていただけました。

「若いデザイナーを探していました」と、とんとん拍子に話が進み、施設の一角に店を構えることに。装苑賞受賞が後ろ盾となったんですね。出店費用には、装苑賞の賞金10万円を充てました。

たった10万円のため、店の内装はプロではなく、新宿のジャズ喫茶で知り合った東京大工学部建築学科の学生さんに手伝ってもらいました。壁を作って枠を作って…すべて手作りの店になりました。

今でこそプレタポルテ(高級既製服)が主流ですが、銀座という土地柄を考慮し、店は既製服ではなく、お客さんの体に合わせて仕立てる方式にしました。

一番のヒット商品は、カーキの薄いデニム生地にえんじ色のステッチを施したジャケットやスカートなどのシリーズです。セットアップにすると、スポーティーながらもエレガントな雰囲気に仕上がって、とてもかわいい商品でした。