【主張】コロナ緊急事態 五輪「無観客」は大失態だ 宣言は4回目を最後とせよ

政府は東京都に4回目の新型コロナウイルス緊急事態宣言を発令すると決定した。沖縄県の宣言を延長し、埼玉、神奈川、千葉、大阪の4府県の蔓延(まんえん)防止等重点措置も延ばす。いずれも8月22日までを期限とする。

宣言期間中には東京オリンピックの日程が丸々含まれる。

これに伴い、政府と東京都、大会組織委員会、国際オリンピック委員会(IOC)、国際パラリンピック委員会(IPC)は、首都圏1都3県の会場を無観客で開催することを決めた。

ほとんどの主要会場では、観客の声援も拍手もない中で競技が行われることになる。

≪「公約の破棄」に等しい≫

東京五輪は8年前、大会の成功を約束して招致に成功した。昨年3月に安倍晋三前首相が大会の1年延期をIOCに提案した時点で、政府はコロナとの戦いに打ち勝った証しとしての五輪開催に責任を負ったはずである。

世界も、日本のコロナ対応と開催準備能力を信じ、期待して、1年の延期を了承した。

「無観客開催」は公約の破棄に等しく、ホスト国として恥ずかしい大失態である。

欧米の各地で有観客のスポーツイベントが開催されている実態をみれば言い訳はできない。

彼我の差は、ワクチン接種率にある。日本でのワクチン接種は国際社会に大きく出遅れた。国内での薬事承認に時間がかかったのも大きな要因だ。厚生労働省をはじめとする政府や非常時対応に鈍感だった国会の責任は大きい。

「1年延期」の時点で開幕日から逆算し、承認や接種の迅速化を徹底すべきだった。五輪開催への努力は、感染抑止の戦いそのものである。「五輪ありき」は批判の決まり文句だったが、これを徹底していればワクチン接種の遅れで国際社会を失望させることはなかったかもしれない。

世界最大のスポーツイベントに観客を呼べないことへの喪失感はあまりに大きい。その損失は単にチケット収入という経済的な側面だけでは語れない。

何より観客は、選手の可能性を最大限に引き出す援軍である。大リーグで本塁打を量産するエンゼルスの大谷翔平がその好例だ。

打席に立つ大谷を大歓声と拍手で迎える観客は、スポーツの理想的な姿を体現している。ワクチン接種の進む社会に許された自由度の高さであり、大谷の投打にわたる快進撃は、観客の後押しを抜きには語れない。

国内でも有観客で開催しているプロ野球やサッカーのJリーグで深刻な感染拡大はみられない。国立競技場に観客1万人を入れても適切な対策を取れば感染リスクはゼロに近いという、スーパーコンピューター「富岳」の分析結果も示されたばかりだった。

なぜ五輪だけが無観客なのか、理解に苦しむ。無観客での開催は大会の感動と興奮を損なう。

ただし、世界のアスリートが卓越した力と技を戦わせる競技会としての五輪の価値は何ら否定されるものではない。

自宅でのテレビ観戦で最高峰の舞台を堪能し賛辞を送るなど、無観客開催でも可能な支援を再考したい。

菅義偉首相は五輪開催の意義を語り続けてほしい。それがホスト国のリーダーとして示すべき最低限の礼儀である。

≪ワクチン接種の徹底を≫

国民はただでさえうんざりしている。宣言、解除、重点措置、解除、また宣言と、この繰り返しをどこまで続ければいいのか。5度目の宣言がないよう、これで最後としてもらいたい。

そのために有効な手立てはワクチン接種を進めることしかない。宣言や重点措置で人流を抑え、その間に国民へのワクチン接種を迅速に行き渡らせる。この徹底に集中すべきだ。

ようやく進み始めたワクチン接種も、職場接種の申請停止や自治体への供給不足で目詰まりを起こしている。多くは国と自治体との連携不足や、自治体間のミスマッチによる。指示系統を一本化して態勢を立て直す必要がある。

菅首相は「ワクチンの効果が明らかとなり、病床の状況などに改善がみられる場合には、前倒しで解除することも判断する」と述べた。一日も早い宣言解除と、8月24日開幕のパラリンピックが有観客で開催されることを望む。