勇者の物語~「虎番疾風録」番外編~田所龍一(265)

わだかまり第2次上田体制 燃えぬ選手たち

球団事務所に集結し「慰留」を決議した勇者たち(立っているのは福本。その左が今井)
球団事務所に集結し「慰留」を決議した勇者たち(立っているのは福本。その左が今井)

■勇者の物語(264)

昭和56年4月6日、第2次上田体制の記念すべき開幕戦を迎えた。阪急の先発は当然、エース・山田。近鉄は柳田がマウンドに上がった。

◇開幕戦 4月6日 藤井寺球場

阪急 000 000 000=0

近鉄 001 020 00×=3

(勝)柳田1勝 〔敗〕山田1敗

(本)梨田①(山田)

試合は阪急の拙攻が目立った。二、三、四回と先頭打者がヒットで出塁したが後続なくゼロ行進。結局、柳田に7安打散発に封じ込められ、山田の開幕戦連勝は「5」でストップした。

阪急らしからぬ戦いぶりだった。新生・上田阪急の晴れの門出なのに、勇者たちはいまひとつ燃えていない。当時のことを福本豊がこう回想した。

「あの年は心のどこかに小さな〝わだかまり〟があったかもしれん。それを整理できないままシーズンに入ってしもた」

――わだかまり?

「そう、監督に対してな。なんで、2年で戻ってきたんや―というわだかまりや」

53年、ヤクルトとの日本シリーズ第7戦、大杉のホームランを巡る〝大抗議〟の末、阪急は敗れた。試合後、宿舎に戻った上田監督は選手全員を集め「すべての責任は私にある。監督を辞める」と頭を下げた。

「負けたのは監督だけの責任じゃありません。辞めないでください!」

選手たちは必死で止めた。翌日、東京から戻った選手たちは午後2時、1軍選手22人が大阪・梅田の球団事務所に集結。「われわれはもう一度、上田監督と野球をやりたい」と決議し、山田選手会長と福本副会長が選手会の総意として「残って欲しい」と再度懇願した。だが、上田監督の答えは「NO」。午後6時過ぎ、正式退団が発表された。

「わずか2年で戻ってくるんやったら、なんで、あのときに思いとどまってくれへんかったんや。みんなもそう思ってたんと違うかな。それに、梶本監督の契約はあと1年残っとった。みんなで〝来季こそ梶さんを胴上げするんや〟と誓ってた。だからよけいに…。なんでやねん―の思いが残ったまま開幕戦になってしもたんやな」

そしてもう一人、フクさんと同じ思いをしている男がいた。(敬称略)

■勇者の物語(266)