「脱ハンコ」に抗う 大阪のへそで作る印材、100年の伝統技術の底力

職人が丁寧に印材を仕上げていく=大阪府松原市の小山良印材製作所
職人が丁寧に印材を仕上げていく=大阪府松原市の小山良印材製作所

人生の節目で新調することも多い印鑑。その素材である「印材」の日本有数の産地が、大阪にある。明治時代から地場産業として成長し、今も水牛の角など高級印材を扱う。新型コロナウイルスの影響で「脱ハンコ」が進み、市場には逆風が吹くが、地場の業者は高品質や、高い加工技術を生かして新たな需要を取り込もうと奮戦している。

新機軸で勝負、目利き力を生かせ

持ち手部分にスワロフスキーガラスが装飾された黒水牛製に、ピンクや白、水色などの淡いカラーで彩色されたカラフルな木製の印材…。

大阪のへそ、とも表現される大阪府松原市で印材業を営む小山良印材製作所では、これまでのハンコの重厚なイメージを覆すような印材を開発、発売している。

「自分だけのオリジナルを求めるニーズや、女性の社会進出で新たな需要が広がっている。その機を逃さないようにしないと」と小山明社長は話す。

水牛、柘植を使ったおしゃれな印材
水牛、柘植を使ったおしゃれな印材

松原市の地場産業となっているのは、名前などの印章を彫刻して印鑑になる前の印材の部分。同市は水牛製印材の日本有数の産地で、現在も10軒程度の製材所がある。少子高齢化や、業務効率化などの流れでハンコ業界には逆風が吹き、印材の製造量は減少し続けているが、新たな動きに取り組む印材業者も多い。

昭和の初めに創業した河内屋印材製造所では約20年前から角を、タイ、インドなどから自社で直接買い付けている。印材の製造は減ったものの、角の目利きや加工のノウハウを生かし、角をアクセサリー用に販売して稼いでいく。

ほかの業者も角の調達や加工ノウハウを生かしてボタン、くし、アクセサリーなどを販売するようになっている。近年増えているのが、包丁の刃と柄の部分のつなぎ目の「口輪」。低価格帯の包丁の口輪は樹脂製だが、高級包丁には水牛の角が使われている。近接する堺市が刃物産業が盛んなことも好調な売り上げを後押しする。

天美地区の家内工業がはじまり

一方で、今も本業の印材の製材は続けられている。市内で完成した印材は卸売業者を通して全国の印鑑店などで販売されている。

印鑑製造が盛んな山梨県でも、多く流通。山梨県印判用品卸商工業協同組合は「水牛の印材は、そのほとんどを大阪から仕入れているのではないか」と話す。

その歴史は明治時代にさかのぼる。明治の中ごろ、現在の大阪市西成区玉出周辺にあたる、勝間(こつま)の印材業者で丁稚(でっち)修行した松原の人間が、地元に技術を持ち帰ったとされる。

ただ、勝間で印材業があったなどの記録は今、残っていない。玉出で約850年の歴史を持つ、生根神社の吉見友伸宮司は「地元で印材、印鑑などの店があった記録は残っていないし、伝え聞いたことはない」と首をかしげるが、松原の人たちは西成から持ち帰った技術を現代までつないできた。

松原市文化財保護審議会会長の西田孝司さんは「当時の松原市の産業は農家による河内木綿生産がそのほとんど。天美(あまみ)地区でも農業の合間の家内工業として技術が持ち込まれ、周辺に広がったのだろう」と推測する。

■印相ブームで成長

天美地区の印材産業が飛躍したのは昭和に入ってから。戦後の経済成長に合わせて印鑑の需要が拡大、業者も増え活気づいたという。

河内屋印材製造所の手束訓洋(てづかのりひろ)代表は「印相ブームで印鑑需要が一気に増え、業界に大きな波が来た」と振り返る。縁起物として注目される時代があり、学校の卒業記念品として印鑑を贈る自治体もあった。松原の水牛製の印材も飛ぶように売れ、年度末にかけて工場はどこも忙しく活気づいていたという。

ただ、平成に入るころに樹脂製の認印の登場や、ビジネスや生活様式への変化で徐々に需要が減った。

スワロフスキーの入った印材を出す小山良印材製作所でも高級品の底堅い需要に支えられて売上高は維持しているが、生産量はピーク時の約10年前から約3分の1の日産1千本にまで落ち込んでいる。

だが、小山社長は日本における印鑑の役割について「例えば人生の節目、大きな契約などでもまだ使われ続けたり、会社印は会社の顔と考えられたり、日本の文化に印鑑はまだ息づいている」と強調する。「例え需要が減っても、大切な場面で使うものだからこそ丁寧な作り方と品質を守り続けていきたい」と心に決めている。(大島直之)

今も変わらぬ手作業

大阪府松原市の近鉄南大阪線河内天美駅近く、線路沿いに建つ芝野印材製作所。時折電車が走り抜ける音が聞こえる作業場では、黒水牛の角が電動のこぎりで手早く切り削られ、美しい円柱状に仕上げられていた。

創業は昭和の初め。3代目の芝野幹雄代表は角を手に取り「印材に加工したときをイメージしながら切る場所、切り方を決めていく」と話す。

約20センチの角から印材として製品になるのは、1本程度だ。幹雄さんは夫婦で手作業で印材を作る。「オランダ水牛は、きれいな模様が出ればそれだけ販売価格も上がる」と、模様を見極めるのも腕の見せ所だ。

角の芯が印材に入るように切り出すのも肝心。角は中心に近いほど高密度で硬いため、芯を含むとゆがみやひび割れを防ぎ、丈夫になる。そういった印材は「芯持ち」と呼ばれ、実印や銀行印など高級な印鑑に使われる。