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西日本豪雨3年…両親のため語る責務 遺族「希望持ち生きる」広島・坂町

犠牲者追悼式で「御遺族代表の言葉」を述べる出下猛さん=7月4日午前、広島県坂町小屋浦
犠牲者追悼式で「御遺族代表の言葉」を述べる出下猛さん=7月4日午前、広島県坂町小屋浦

260人超の命を奪った西日本豪雨から6日で3年。広島県坂町小屋浦で両親を亡くした会社員、出下猛(いでしたたけし)さん(52)=坂町植田=は「まだ(現実を)受け入れてないんでしょうね」と語る。街の復興は進み、人々の暮らしは活気を取り戻したかに見えるが、その後も続く災害やコロナ禍に焦燥感も抱く人も多い。被災地にはゆっくりと歩み始める人の姿もあった。

■最期の電話

平成30年7月6日、出下さんは当時小学6年生だった長女、彩夏さん(15)と自宅にいた。午後7時ごろに停電したため、実家に避難しようと約5キロ離れた小屋浦に住む母、登記子さん=当時(74)=に電話をかけた。「川の水は大丈夫。停電していないよ」「停電してないなら、そっちに行くわ」。この会話が最期になった。

道路は大渋滞し、車は動かない。結局、弟の徹さん(47)が勤める坂町内の病院に避難した。弟と父の仁巳(ひとみ)さん=当時(74)=、登記子さんの携帯電話にかけ続けたが、応答はない。だが、徹さんとは「大丈夫だと思うけどね。避難しとりゃあええけどね」と話していた。

翌日、線路伝いに歩きながら、土砂に埋まる車や壊滅した橋に言葉を失った。ようやくたどり着いた実家は土石流に飲み込まれていた。2階の窓ガラスを割って呼びかけたが、両親は見つからなかった。

■肩を抱き寄せ…

両親が見つかったのは数日後。仁巳さんが登記子さんを腕で抱き抱えるようにして亡くなっていた。「母を守ろうとしたんですかね。父もよう頑張ったと思います」。土砂から2人の遺体を引き上げるまでにさらに数時間。容赦ない暑さだったことを鮮明に覚えている。

両親を見つけてくれた警察官は、平成23年の東日本大震災で救助作業に携わっていたという。「東北も行ったけれど、お二人で見つかったのは初めてみました」と声をかけてくれた。

■ふるさとの思い出

4日、広島県坂町で行われた追悼式で、出下さんは遺族代表としてあいさつ。「災害を後世に語り継ぎ、希望を持って生きていくことが私たちの責務と考えている」と思いを語った。

実家の跡地には、妻の寿美枝さん(52)がキンモクセイの木と色とりどりの花を植えた。小屋浦地区の住民福祉協議会が2年前に作った記録誌には両親の顔写真が掲載されている。2人とも、優しい笑顔。出下さんは仁巳さんの笑顔にそっくりだと言われる。「言い出したら聞かない。頑固だったですけどね」

趣味の釣りも、幼い頃に父が釣りにつれていってくれた影響だ。両親の名が刻まれた新たな水害碑の建つ公園は、父がいつもゲートボールを楽しんでいた場所でもある。登記子さんは「明るくて社交的」だった。「料理で好きだったのは『白菜の炊いたん』かな。雑煮もおいしかった」

土石流に流された先祖の墓石も奇跡的に見つかり、新たに建てた両親が眠る墓の横に置いた。

出下さんは「両親が亡くなったことをまだ受け入れられていないのか、いまだに実感がない。だからなのか、あまり寂しくはない」と話す。「また、ここに家を建てたい」。ここは、生まれ故郷だからだ。(嶋田知加子、写真も)