勇者の物語~「虎番疾風録」番外編~田所龍一(262)

さらば「16」阪急一筋22年、支え続けたダチさん

引退会見のセレモニーもなく「16」番に別れを告げた足立=西宮球場
引退会見のセレモニーもなく「16」番に別れを告げた足立=西宮球場

■勇者の物語(261)

ノムさんの引退から数日後の11月28日、パ連盟から阪急・足立光宏投手、40歳の「任意引退」が公示された。

「公示ってどういうことですか! 足立さんですよ。金屛風(びょうぶ)の前でちゃんと発表せなアカンでしょ!」

思わず阪急担当の先輩記者に食ってかかった。聞けば足立本人が「そんな晴れがましいのは苦手」とサヨナラセレモニーもすべて断ったという。いや、それでもせめて引退発表ぐらいは…である。

先に引退した野村克也の45歳に次ぐパ・リーグ最古参。大阪市立西高から大阪大丸を経て昭和34年に阪急入団。以来、ブレーブス一筋22年、弱いときも強いときもチームを支え続けた。

41年10月に起きた西本監督の『信任投票事件』では、「この人についていけば勝てる」と、「×」が多かった投手陣の中で「〇」を投じた。

52年、巨人との日本シリーズ。第7戦で足立は二回、一塁ベースカバーに入った際に足を踏まれてかかとを負傷。それでも巨人打線を5安打2失点に抑えて完投。「日本一」に輝いた。その日の夜、西本に「巨人に勝ちましたよ」と電話で報告した。足立とはそういう男である。

誰もが足立のことを親しみを込めて「ダチさん」と呼んだ。筆者がダチさんと知り合ったのは勇者番記者となった61年。引退して投手コーチを務めていた足立はこの年からスカウトになっていた。球団としてはアマチュアの選手に「あのシンカーの足立さんが」と思わせたかったのだろうが…。

大阪・梅田の球団事務所で会うダチさんはいつも厳しい顔をしていた。

「人気がないというのは悲しいこっちゃなぁ。ワシの名前どころか、阪急のことすら知らん。〝阪神みたいに大きな会社だったらいいんですが…〟と親御さんに言われたときには、ホンマにガッカリしたわ」

そんなとき足立は選手と家族を大阪へ招待した。そして、阪急電車の梅田駅、三番街、百貨店―と紹介して歩き、最後に阪神百貨店へ連れて行く。

「みんな、きまって〝阪急って、こんな大きな会社だったんですか〟とびっくりするよ」。このことがきっかけで、球団では阪急の紹介ビデオを制作。スカウトたちの大きな武器になったのである。(敬称略)

■勇者の物語(263)