日曜に書く

論説委員・長戸雅子 ガラパゴスの被害者支援

組員の男が侵入した際のガラス片が残るリビングに立つ市川武範さん=長野県坂城町
組員の男が侵入した際のガラス片が残るリビングに立つ市川武範さん=長野県坂城町

もう何が印刷してあったかも読み取れない、コンビニエンスストアの小さなレシート。長野県坂城町の自営業、市川武範さん(56)には今も大切な宝物だ。長女が生きて、働いていた証しだから。

「一度だけ買い物にいったとき手渡されたものです。それが最初で最後になってしまいました」

昨年5月26日深夜、市川さんの自宅は全く面識のない暴力団組員の男=当時(35)=に襲われ、家にいた長女=同(22)=と次男=同(16)=が銃撃を受けて死亡、妻はけがを負った。組員はその場で自殺した。

2日前の24日には、コンビニの駐車場で市川さんの長男が顔も知らないこの組員に暴行されていた。組員は25日にも市川さん宅周辺に現れており、県警は長男を避難させていたが、家族にまでその判断は及ばなかった。市川さんの長男と組員の元妻が同僚で、2人の関係を一方的に邪推した組員が起こした犯罪だった。

◆「謝罪しろ」と誹謗

「猛省を促す」

非道な事件から数週間後、市川さんのもとに1枚のはがきが届いた。悪いのは暴力団員としながらも、「家族を守れなかった」と市川さんを責める内容だった。

事件後、「家族が警察の保護を断った」との誤った報道やデマに基づいた誹謗(ひぼう)中傷がネット上にあふれた。近隣住民からは「迷惑をかけたんだから謝って歩け」という言葉も投げつけられた。

生活の問題にも直面した。現場となってしまった自宅に住むことはできない。県が用意してくれた施設にいられたのは3日だけ。公営住宅にも入れず、車での寝泊まりも覚悟したが、知人を頼って当面住む場所だけは確保した。坂城町には当時、被害者支援の条例もなかったため全て自己負担だった。

事態が少し動いたのは約3カ月後。坂城町に県内初の条例ができ、見舞金が支給されて公営住宅にも入ることができた。休業せざるを得なかったため、見舞金で町への税金を支払った。

◆変わらぬ現実

日本の被害者支援はまだこんな状態なのか-。

市川さんのケースを知って率直に驚いた。国民が無差別に巻き込まれた一連のオウム真理教事件や「全国犯罪被害者の会(あすの会、平成12年設立、30年解散)」の活動などで日本の被害者支援は二十数年前から急速に進んだ。17年には被害者の権利を明記した「犯罪被害者等基本法(基本法)」が施行された。この間、社会の意識も支援の在り方も大きく変わったはず-とばかり思っていた。

基本法は、国だけでなく自治体に被害者らを支援する施策を策定、実施する責務があるとしている。

犯罪被害者支援に特化した条例を制定しているのは4月の時点で32都道府県。昨年から11県増えたが、市区町村ではまだ2割にとどまっている。

海外の支援事情にも詳しい諸澤英道元常磐大学長(被害者学)は「日本の状況は世界からはるかに遅れたガラパゴス。日本では自治体の当事者意識が薄く、支援内容も『被害者のニーズ』より、『支援する側がやれること』を基に組み立てられた部分もあり、気づかれてさえいない課題もある」と手厳しい。 そのうえで「市川さんのケースでは2日前に端緒となる事件が起きていた。専門家のアドバイスや保護など被害者支援はここから始まっていてよいはずだった」と指摘する。

◆心を救う言葉

長野県では現在、市川さんの訴えなどが契機となって条例作成への動きが進んでいる。

「犯人を許せない気持ちに変わりはありません。しかし、彼は最初から自殺するつもりだった。自分の居場所をなくしていたからだろうと思いました」(市川さん)。「居場所のなさ」は被害者となった自身も感じた思いだ。

「どうかご自身を責めないでください。すべて警察の責任です」

事件から4カ月後、遺族への捜査終結報告の席で市川さんは警察幹部から謝罪を受けた。

「ご自身を責めないでください」。市川さんは、この言葉にふっと救われたという。人を傷つけるのも人ならば、その傷を癒やす力を持つのもまた人だ。「被害者が生きにくい社会であってはいけないと思います」

市川さんの言葉がずっしりと響く。(ながと まさこ)

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