勇者の物語~「虎番疾風録」番外編~田所龍一(261)

「日本一」の評論家「生涯一捕手」に込められた思い

会見で現役引退を発表、笑顔で直筆の「生涯一捕手」の色紙を披露した西武・野村克也捕手=1980(昭和55)年11月15日、東京・東池袋の西武球団事務所
会見で現役引退を発表、笑顔で直筆の「生涯一捕手」の色紙を披露した西武・野村克也捕手=1980(昭和55)年11月15日、東京・東池袋の西武球団事務所

■勇者の物語(260)

「長嶋監督の解任」「世界の王の引退」に続いて11月15日、野村克也(当時は西武)も27年間のプロ野球生活にピリオドを打った。

「45歳まで現役でやれたことに感謝しています」とノムさんは東京・池袋の西武球団事務所で頭を下げた。

戦後、石ころにぼろ布を巻きつけ、木の枝をバットにして裸足で野球を始めた。母子家庭に育ち新聞配達をして生活を助けた。お店は京都・網野町にある産経新聞の三浦販売店。余談だが、その店の息子が後年、サンケイスポーツの記者になり、野村監督率いる南海を担当した三浦精二先輩である。

昭和28年暮れに南海のテストを受け合格。年俸は約8万円。毎月2000円を母親に仕送りし、入団1年目を学生服で通した。

野村には『生涯一捕手』という有名な言葉がある。実はこの引退会見の後、今の自分の気持ちを色紙に筆で書いたもの。当時の心境を後年、ノムさんはこう振り返った。

「南海をああいう形(野村騒動)で追い出されオレには、もうどこの球団からも指導者として呼ばれることはないと思っていた。だったら〝日本一の野球評論家になったる〟と…。その気持ちを字にしたらああなったんや」

南海の監督時代から日本シリーズの『観戦記』など、評論を書いていたノムさんは、12月1日付で晴れてサンケイスポーツの専属評論家となった。

筆者とノムさんとの出会いは入社1年目の54年。近鉄―広島の日本シリーズだ。第6戦を終え、ノムさんは先輩記者たちと会社の近くの雀荘で麻雀卓を囲んだ。筆者も〝お世話係〟で同席。

午後11時が近づいたとき、突然「おい、ちょっと代わって打っとって」と声がかかった。トイレかなと思ったら、なんと店のテレビをつけ、関西テレビ系の『プロ野球ニュース』に出演していた吉田義男の解説を聞きはじめた。当時からノムさんは吉田や上田利治の解説を高く評価。ポイントの取りあげ方などを比較研究していたのである。

そんな地道な努力が野村の「野球論」を生み、評論家としての名声を上げ、再び指導者としてヤクルトの招(しょう)聘(へい)を受けることになる。〝運命〟とはおもしろいものである。(敬称略)

■勇者の物語(262)