【話の肖像画】今も息づく「だんじり魂」 デザイナー・コシノジュンコ② - 産経ニュース

メインコンテンツ

話の肖像画

今も息づく「だんじり魂」 デザイナー・コシノジュンコ②

高校2年生まで、自慢の脚を生かして「だんじり」の綱を引いていた(右から2人目が本人)
高校2年生まで、自慢の脚を生かして「だんじり」の綱を引いていた(右から2人目が本人)

(1)へ戻る

《世界的デザイナーの出身地は大阪府岸和田市。この地で過ごしたのは高校卒業までと決して長くはないが、思い出はどれも色濃く残っている》


岸和田には18歳までしかいませんでしたが、やはり特別な思いがある街です。大阪府内の南海電鉄沿線では大阪市、堺市に次いで大きく、岸和田城を抱える城下町。長い歴史を持っているこの街の出身であることを誇りに思っています。

小さい頃に遊んでいた場所といえば、もっぱら家の前の道。姉と一緒に、路面に白墨で絵を描いていました。道幅が広かったものですから、子供にとっては良いキャンバスだったんですね。

当時、画家の山下清さんが活躍されていたのをまねていたのです。街なかに絵を描いて遊んでもいいんじゃないか、と。ただの落書きでしたが、通りすがりの大人たちが、立ち止まってみていくのが面白かった。

どこかに冒険や探検に出かけるでもなく、とても狭い範囲で遊んでいましたが、それはそれで楽しかったんですよ。

一方で、大阪の繁華街についてはあまり詳しくはありません。まだ子供でしたから、梅田や難波といったにぎやかな場所には、大人と一緒に行くしかない。せいぜい、高校生の時に天王寺にある美術館に友達と出かけたくらい。小中高はすべて徒歩圏内で過ごすことが多かったです。


《岸和田は言わずと知れた「だんじり」の街。実家は、だんじりが走り抜ける通り道にあった。自身には血気盛んな「だんじり魂」が息づいているという》


私の人生は、まさに「だんじり人生」。だんじりとともに歩んできたといっても過言ではないです。うちは、だんじりを見るのに一等地の場所にあった。祭りの時期は自宅の2階からだんじりを見るのが恒例で、これが最高なんですよ。

でも、母の「男前」な性分を引き継いでいる私はそれだけでは飽き足らなかった。

運動会では、いつも徒競走で1位の〝脚自慢〟。男衆らが、ものすごいスピードと気迫でだんじりを引き、走り抜けるその渦に入りたかった。

物心ついたときには、もうだんじりの綱を引いていました。綱を力いっぱい引っ張って、先頭を切って走る。まるで、私の後ろをだんじりが付いてきているようで、それがうれしくもあり、快感でした。

でも、やっぱりものすごい人の数と熱気ですから、ちょっぴり怖さもあります。付いていけずに少しつまずいただけで、人とだんじりの下敷きになってしまうスリルもあった。逃げて眺めるか、やるか―。結局、負けん気が勝って、高校2年生までだんじりを引き続けていました。

この脚力、実はまだ衰えていません。今も、ジムでトレーニングを重ねているのです。水が入ったペットボトルを持って負荷をかけながら、プールをウオーキング…。これを続けているおかげで、体に変な肉がつかずに体形を維持することに成功しています。

そして、お化粧をしない日はほとんどありません。ジムの日は自宅からお化粧をせずにジムに行く。そして帰りはばっちりメークをして帰る―というのがルーチンになっています。(聞き手 石橋明日佳)

(3)へ進む