勇者の物語

単独会見V9の呪縛…「常勝が使命。力及ばず」 虎番疾風録番外編257

辞任が不本意な長嶋茂雄監督。会見中も目頭に熱いものが…=1980年(昭和55年)10月21日、東京・大手町の巨人球団事務所
辞任が不本意な長嶋茂雄監督。会見中も目頭に熱いものが…=1980年(昭和55年)10月21日、東京・大手町の巨人球団事務所

■勇者の物語(256)

長嶋監督の後任にはOBの藤田元司(当時49歳)の就任が発表された。そして球団関係者が退席。午後5時9分、長嶋の「単独会見」が始まった。会見の様子は生中継で全国にテレビ放映された。「わたくしの方から辞意を表明し、辞表を提出しました」

一斉にフラッシュがたかれ、唇を真一文字に結んだ長嶋の無念の表情をとらえた。

「野球の世界はすべて成績が優先する。私の辞意は成績の不本意のみで他意はありません。不振はすべて監督の責任です。巨人軍は勝つこと、常勝することが使命。私の力が及ばなかったということです」

――ユニホームを脱いだあとは

「23年間ただがむしゃらに野球に打ち込んできました。このあたりで少し自分の足元を見直して、反省を加え、これからの人生をゆっくり考えてみたい」

球団はフロント入りを要請した。だが長嶋は「私はグラウンドで育った野球選手。フロントとグラウンドとは違う世界。自分には不向き」と断った。

虎番1年生の筆者は大阪・梅田の球団事務所で、各社の先輩記者たちと一緒に見ていた。小津球団社長が出てきた。

「ご苦労さんの言葉しかない。実はシーズン中に長嶋監督が秋のオープン戦の協力を頼んできたんだ。〝じゃあ、君の顔をたてよう〟とOKした。こんなことになったが、快く応じたのが、せめてものはなむけになった」

「いやだなぁ、社長。長嶋さんが亡くなったわけじゃないですよ」

「そうか、そうだった」

お通夜のようだった事務所に少し笑いがもれた。

同じ日、大阪球場では広島との日本シリーズ(10月25日開幕)へ向け近鉄が最終調整。西本監督も長嶋監督の「解任会見」を見ていた。

「長い間チームに貢献した人が、汚れたままで引っ込むのはかわいそうや。監督になった時期も悪かった。V9という固定した力でやってきて、肩を並べる選手も少なかった。新戦力で頼りないのを使うと、周りがギャアギャア騒ぐ。あのチームの宿命かもしれんが、監督は苦しかったやろ」

西本監督は深いため息を漏らした。(敬称略)

■勇者の物語(258)

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