長嶋監督の後任にはOBの藤田元司(当時49歳)の就任が発表された。そして球団関係者が退席。午後5時9分、長嶋の「単独会見」が始まった。会見の様子は生中継で全国にテレビ放映された。「わたくしの方から辞意を表明し、辞表を提出しました」
一斉にフラッシュがたかれ、唇を真一文字に結んだ長嶋の無念の表情をとらえた。
「野球の世界はすべて成績が優先する。私の辞意は成績の不本意のみで他意はありません。不振はすべて監督の責任です。巨人軍は勝つこと、常勝することが使命。私の力が及ばなかったということです」
――ユニホームを脱いだあとは
「23年間ただがむしゃらに野球に打ち込んできました。このあたりで少し自分の足元を見直して、反省を加え、これからの人生をゆっくり考えてみたい」
球団はフロント入りを要請した。だが長嶋は「私はグラウンドで育った野球選手。フロントとグラウンドとは違う世界。自分には不向き」と断った。
虎番1年生の筆者は大阪・梅田の球団事務所で、各社の先輩記者たちと一緒に見ていた。小津球団社長が出てきた。
「ご苦労さんの言葉しかない。実はシーズン中に長嶋監督が秋のオープン戦の協力を頼んできたんだ。〝じゃあ、君の顔をたてよう〟とOKした。こんなことになったが、快く応じたのが、せめてものはなむけになった」
「いやだなぁ、社長。長嶋さんが亡くなったわけじゃないですよ」
「そうか、そうだった」
お通夜のようだった事務所に少し笑いがもれた。
同じ日、大阪球場では広島との日本シリーズ(10月25日開幕)へ向け近鉄が最終調整。西本監督も長嶋監督の「解任会見」を見ていた。
「長い間チームに貢献した人が、汚れたままで引っ込むのはかわいそうや。監督になった時期も悪かった。V9という固定した力でやってきて、肩を並べる選手も少なかった。新戦力で頼りないのを使うと、周りがギャアギャア騒ぐ。あのチームの宿命かもしれんが、監督は苦しかったやろ」
西本監督は深いため息を漏らした。(敬称略)