朝晴れエッセー

浦の思い出・6月28日

この春、父方本家筋の伯母が亡くなった。多くの人たちから惜しまれての94歳の大往生だった。

米農家から、海苔(のり)の養殖、そして、最後は旅館の女将(おかみ)として大家族を束ねた働きものの伯母。忙しい中にいても家族はもとより、私たち親族にも細々と心を砕いてくれる人情あふれる昭和の女丈夫だった。

彼女が生きた土地は、外海との境をぐるりと松林が取り囲む、美しい浦の恵みが人々の生活の糧を潤していた。その美しさから日本百景にも選ばれ、昭和の好景気に乗じて、浦沿いに旅館ができた。浦に浮かぶ大小の美しい島々を「竜宮城」に見立てる観光客も多く、さらに新鮮な海の幸の料理も評判を呼び、浦は大いににぎわった。

そんな旅館の一つを、伯母は女将として伯父と二人三脚で営んでいた。旅館はいつも大繁盛で、私も学生時代は、よくアルバイトをさせてもらっていたものだ。伯母の温かい人柄に触れながら。

くしくも、東日本大震災から10年を数えるこの年に伯母が亡くなるとは不思議な気がする。あの日の大津波で伯母の旅館は打ち砕かれ、廃業を余儀なくされた。

けれども、浦がそこに住むすべての人々の命を救った。浦が外海からの大津波の防波堤となって、みんなが逃げる時間をつくってくれたのだ。

松林は防潮堤へと整備され、浦の景観は変わってしまったが、私は時々、遠く車を走らせて浦を見に行く。

伯母が口に放り込んでくれたむきたての牡蠣(かき)の甘さ。潮干狩りの歓声。そこには、まだあの日の熱量が残されているような気がして。


阿部和歌子(56) 福島市