話の肖像画

ジャパネットたかた創業者・高田明(72)(18)全国を網羅「ジャパネット」誕生

ジャパネットたかたの社屋。右は最初に建てた大塔第1ビル、左が3年後に建てた大塔第2ビル
ジャパネットたかたの社屋。右は最初に建てた大塔第1ビル、左が3年後に建てた大塔第2ビル

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《長崎・佐世保のカメラ店から全国の通販事業に打って出ていた平成5年、統一ブランド「ジャパネットたかた」が誕生する。社名になるのは6年後だ》

全国各地のラジオ通販番組に出演して電話で商品の注文を受けるとき、「はい。カメラのたかたです」では関西や関東、東北のお客さまは困惑しますよね。そのため九州地区での放送では「はい。通販九州です」、広島では「はい。通販中国です」と名称を使い分けていたのです。でも電話は全部、佐世保のお店の臨時回線にかかってくる。電話を受ける社員はお客さまの居住地によって名称を変えねばならず、かなり煩わしかった。

そこで全国で通販事業を続けていくには統一ブランドが必要だろうと考え、福岡のデザイナー、平松聖悟さんに相談に乗ってもらいました。まず「どんな名前がいいですか」と聞かれたので「全国をネットするような名前がいいのですが。極端に言うと『全国ネット』というような」と答えると、「じゃあ『ジャパンネット』は」「それはいいですね。でもちょっと言いにくいかな」「それでは『ジャパネット』は」「いいですね」「『たかた』はどうしますか」「会社名にも入っているので入れましょう」、こんなやり取りで「ジャパネットたかた」が誕生した。語感がいいのでお客さまの心に残ると直感しました。

さらにお客さまに覚えていただくためにテーマソングも作ろうと思い立ち、福井県の作曲家、恒見コウヘイさんにお願いしました。「どんな曲がいいですか」と聞かれたので「北は北海道から南は沖縄まで楽しくなるようなものがいいですね」。誕生したのが今も流れる「北の町から南の町まですてきな夢を届けます…ジャ~パネット、ジャパネット、夢のジャパネットたかた」のあの曲です。

《会社の体制も整えていった》

佐世保でフィルムの集配をしていたカメラ店が、全国から注文をいただくようになったわけですから、会社の体制も急激に変えていかなければなりません。ラジオ通販を始めたころは1、2本だった臨時回線は、放送局が広がっていくにつれ、10本、24本と増えていきました。全国の放送局で番組枠をいただいていたので、オンエアの時間もまちまち。そのため、放送直後に電話が集中する時間が1日に何度も来ます。扱う商品もカメラやビデオ、カラオケセットから、ワープロ、カーナビと広がっていき、社員には苦労をかけました。さらに昼間の放送を聞いた奥さまが帰宅した旦那さまと相談の上、夜に注文のお電話をされることもたびたびありました。放送では「電話受け付けは午後7時まで」としていましたが、せっかくご注文をされるお客さまからのお電話が繫(つな)がらなかったら大変です。コールセンターの整備が急務になりました。

送り先の地名に苦労することもありました。電話で住所をお伺いしても長崎周辺、さらに九州くらいまでは社員に土地勘があるのですが、北海道や東北にはどんな地名があるのか見当がつかない。でも「漢字でどんな字になりますか」と聞き直すと、お客さまも無事に商品が着くのか、不安になりますよね。今のようにインターネットですぐ検索できる時代ではありません。そこで全国の電話帳を取り寄せて、あやふやな住所はメモをもとに電話帳で再確認していました。

商品在庫にしても最初のころは店のなかに山積みでしたが、すぐにいっぱいになり、伝票や発送作業ができる場所も必要となりました。社員も増えてきたこともあり、今のスペースだけでは足りなくなったので佐世保市大塔町に土地を確保し、物流センターやコールセンターを備えた社屋を建てました。

《統一ブランドとテーマソング、そして走りながら整えてきた社内の体制。テレビ通販への足場が徐々に固まってきた》(聞き手 大野正利)

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