NHKアナウンサーによる実況は悲鳴に近い。〈日本の円谷、あと250メートル。ヒートリーが差を詰めました。2位か3位か。銀メダルか銅メダルか。日本の名誉をかけて。円谷危ない…〉。昭和39(1964)年東京五輪のマラソンである。
▼国立競技場のトラックでヒートリー(英国)に抜かれるまで、円谷幸吉はその猛追に気づかなかったとされる。「決して後ろを振り返るな」という父の教えを守ったからだ、とも言われる。振り返っていたなら、あるいはメダルの色が銅から銀に変わっただろうか。
▼円谷は真相を語ることなく、43年1月に自ら命を絶った。その年、メキシコ五輪のマラソンで銀メダルを手にした君原健二氏は、レース終盤、普段なら顧みないはずの後ろをなぜか振り返った。「円谷さんの無念、教訓が私を振り返らせたのではないでしょうか」