香港で民主派を支援し中国を批判し続けた蘋果日報(アップルデイリー)は、中国の民主派言論人にとっても一筋の光明だった。中国で民主派を支援し投獄経験もある北京在住の著述家、高瑜(こうゆ)氏は23日付の蘋果日報(電子版)に寄稿し、「蘋果日報が(創刊以来)26年間で育てた報道のエリートたちと、香港の自由を守る民衆は不朽だ」と功績をたたえた。
高氏は1989年6月の天安門事件前、副編集長を務めた経済誌で民主化運動を支援する記事を掲載して逮捕・投獄され、経済誌も廃刊処分となった。高氏は寄稿で、蘋果日報は89年の中国の民主化運動と天安門事件の「大虐殺」が生んだ新聞だと振り返った。
高氏は事件当時、黎智英(れいちえい)(ジミー・ライ)氏が創業した衣料品大手「ジョルダーノ」が、支援メッセージ入りのTシャツを大量に天安門広場に送ったことで黎氏を知ったという。黎氏は事件翌年の1990年に写真週刊誌「壱週刊」を創刊。同誌はゴシップ報道で知られたが、獄中の高氏は「ばか野郎、李鵬(中国首相)への公開状」という同誌の記事を見て、時事評論も特徴だと知った。
蘋果日報は95年に創刊。高氏は病気療養を理由に仮釈放され2002年以降、同紙に評論を書くようになる。高氏によれば、「世界的なメディアの中心」だった香港は、この20年間で大きく衰退。各メディアが生き残りのために自己検閲を強化する中、蘋果などごく少数の社だけが、圧力を恐れず「(政府を)批判し監督する立場を堅持した」。
同紙のロゴは、イブがかじった禁断の果実(リンゴ)であり、同紙のCMの「毎日の蘋果(リンゴ)1つで、誰も私をだませない」は「報道の自由」を象徴する「名言だ」と高氏はたたえる。その上で、同紙関係者への別れの言葉として、同紙が育てた記者や読者、そして「民心と民意は決して滅びない」とつづった。