〈独自〉平安人の鬼門封じ? 藤原実頼邸跡から最古級の人面墨書土器 - 産経ニュース

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〈独自〉平安人の鬼門封じ? 藤原実頼邸跡から最古級の人面墨書土器

藤原実頼邸(小野宮)の池跡から出土した土師器の皿。裏全面にひげ面の男性が描かれていた=京都市中京区(昨年1月6日撮影)
藤原実頼邸(小野宮)の池跡から出土した土師器の皿。裏全面にひげ面の男性が描かれていた=京都市中京区(昨年1月6日撮影)

平安時代中期に摂政・太政大臣として政権を支えた藤原実頼(さねより)(900~970年)の邸宅「小野宮(おののみや)」跡(京都市中京区)から、あご髭(ひげ)をたくわえた人物が墨書された土師器(はじき)皿が見つかった。皿は鬼が出入りする方角とされる「鬼門」に位置する場所から出土、災いを払う目的で埋められた可能性があり、専門家は「鬼門の災いよけの実例としては、最古の可能性がある」と評価している。

小野宮は9世紀後半、文徳天皇の皇子・惟喬(これたか)親王が平安京左京二条三坊十一町(現在の烏丸夷川付近)に構えた邸宅。後に実頼、さらに実頼の孫で、藤原道長の時代を伝える日記「小右記(しょうゆうき)」の筆者として知られる実資(さねすけ)へと受け継がれた。

発見された皿は直径約16センチ、高さ約2センチ。人面は皿の裏側全体に描かれ、眉毛が太く、鼻下とあごに髭をたくわえ、口が大きく開いている。

土師器の皿が出土した藤原実頼(小野宮)邸の池跡。当時、置かれたとみられる景石なども残る=京都市中京(令和元年12月19日撮影)
土師器の皿が出土した藤原実頼(小野宮)邸の池跡。当時、置かれたとみられる景石なども残る=京都市中京(令和元年12月19日撮影)

マンション建設に伴い令和元年11月~2年4月に民間会社「アルケス」が約600平方メートルを調査。この結果、邸宅跡の北東端近くから池跡が出土し、水際近くからは庭石が2個見つかった。皿は、庭石を安定させるために土中に詰め込んだ礎石の隙間に差し込むように置かれていた。

皿の形から10世紀後半に池が作られ、その際に一緒に入れられた可能性が高いという。人面墨書土器は主に奈良~平安初期に災いを払う目的で作られたが、中期のものは珍しい。

11世紀に書かれた作庭解説書「作庭記」では邸宅の北東の鬼門に大石を据えることを禁じた。鬼門は鬼が出入りする方角とされ、9世紀後半ごろから、鬼門を封じる方角神を祭るようになったとされる。

当時の祭祀(さいし)関係に詳しい大東文化大の山下克明研究員は「作庭時に庭師が鬼門封じのため冥神(めいしん)などを描いて置いた可能性がある。平安人の鬼門封じの痕跡としては最も古い例になるのでは」と話している。(園田和洋)