【話の肖像画】ジャパネットたかた創業者・高田明(72)(14)取次先から学んだ「苦い教訓」(1/2ページ) - 産経ニュース

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ジャパネットたかた創業者・高田明(72)(14)取次先から学んだ「苦い教訓」

「カメラのたかた」佐世保営業所所長として奔走していたころ
「カメラのたかた」佐世保営業所所長として奔走していたころ

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《昭和50年代半ばごろからコンパクトカメラが普及し始め、写真は自分で撮影する時代になっていった。仕事は徐々に変わっていく》


平戸時代から「観光地の記念写真やホテルの宴会でのスナップの撮影と販売」「持ち込まれたフィルムの現像とプリント」「カメラの販売」の3つが仕事の柱でした。カメラの普及で手軽に撮影する機会が増えたことや粗利が高くて収入源となることもあり、佐世保ではフィルムの現像とプリントに力を入れましたね。しかし遠くのお客さまに「営業所までフィルムを持ってきてください」とは言えません。そこで化粧品屋さんやお米屋さん、電器屋さんなどを回り、毎月手数料をお支払いする形で、お客さまからフィルムを預かる取次店になってもらった。全部で200カ所もの取次店と契約し、パートさんたちが回って集めたフィルムを営業所でプリントし、また取次店まで配達するという仕組みです。

取次店の交渉は飛び込みです。「取次店になるとフィルムの受け渡しをするため、お客さまの来店頻度が高くなりますよ」と、しっかりと利点を説明することで契約が成立する。誠意をもって相手に思いを伝えることが大切なことを学びました。集配で効率がよかったのがクリーニング店チェーン。大手だったので佐世保近郊の多数のお店から毎日、衣類が洗濯工場に集まってくる。そこで衣類と一緒にフィルムも工場に集めてもらい、写真を配ってもらった。集配に回る手間が省けましたね。ガソリンスタンドチェーンとも取次契約を結びました。

取次店との集配の規模が大きくなるなか、ポケットベル(ポケベル)の登場には助けられました。それまでは集配に出ていたパートさんが取次先のお店を出た直後、そのお店から「今お客さんが3本、フィルムを持ってきたよ」と営業所に電話が入っても連絡できません。次に寄るお店に電話して「前のお店に戻るよう伝えてください」と伝言を頼み、戻ってもらっていましたが、往復の時間がロスになりますよね。そこでポケベルの登場です。かけたらピーピー鳴って、パートさんが近くの公衆電話から営業所に連絡する。そこで「前の店に戻って」。感動しましたね、なんて便利で最高のツールなんだ、と。


《順風満帆というわけではなかった。クリーニング店チェーンが一方的に契約を打ち切ってきた》