TOKYOで創れ新伝説 体操・内村、競泳・佐藤 東京五輪開幕まで1か月 - 産経ニュース

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TOKYOで創れ新伝説 体操・内村、競泳・佐藤 東京五輪開幕まで1か月

全日本体操種目別選手権、男子鉄棒決勝での内村航平の演技 =6日、群馬県高崎市の高崎アリーナ(代表撮影)
全日本体操種目別選手権、男子鉄棒決勝での内村航平の演技 =6日、群馬県高崎市の高崎アリーナ(代表撮影)

東京五輪の開幕まで23日で1カ月。延期による1年を経ても新型コロナウイルスの感染状況は予断を許さず、臨機応変の対策・対応が求められる中、準備は最終段階を迎えている。日本代表選手数は1964年東京大会の355人を上回る史上最多の約600人。脈々と紡がれてきた伝統や先人の思いを受け継ぎ、再びの「東京」で、最高のパフォーマンスを発揮すべく、臨戦態勢を整えている。

体操・内村航平

内村航平は今、その活躍によって先人の偉業に改めて光を当てている。先人とは小野喬。全競技を通じて日本人最多となる13個の五輪メダルを獲得した「レジェンド」だ。

生まれは小野が1931(昭和6)年なのに対し、内村は1989(同64)年。世代として半世紀以上の隔たりがあるが、両者に共通点は多い。

内村の4大会連続の五輪出場は、小野と並ぶ日本体操界の最多記録である。年回りも同じ。小野は64年東京五輪を33歳で迎えており、内村は「一緒ですね、本当に僕と。(来年1月で)33歳なんで」と驚く。

何より2人をつなぐのは得意種目の「鉄棒」だ。小野は種目別で五輪を連覇し、「鬼に金棒、小野に鉄棒」とうたわれた名手だった。肩の痛みを抱えていた64年東京五輪。痛み止めを注射したところ肩が上がらなくなり、一転、神経を戻すために鍼を打って日本の団体総合制覇に貢献した。

肩の痛みはベテラン体操選手にとって宿命のようなもので、内村も近年、悩まされてきた。しかし昨季、全6種目をこなすオールラウンダーから、肩への負担が少ない鉄棒に特化したスペシャリストに転身。輝ける道を見いだし、小野と同じように「東京」で金メダルを獲得すべく準備を進めている。

H難度の離れ技「ブレトシュナイダー」をはじめ端正な演技の裏には、細やかなこだわりと地道な鍛錬がある。

例えば、両手に装着するプロテクター。内村は男子用ではなく女子の段違い平行棒用の物を使っている。

「リオ五輪が終わってからですね。使ってみて、しっくり来た。僕は手が小さくて男子用だと手首のところが大きくて締まらないんですよ」

オールラウンダーの頃より鉄棒の練習量が増えたことで、手首の内側には変化が出てきたという。

「ボコってなっているんです。今が人生の中で一番すごい」

きっちり巻いたプロテクターに皮膚が何度も押されて寄るなどした結果、これまでなかった筋のような膨らみができたのだ。

練習は数えきれない程、繰り返してきた。その先に五輪の舞台がある。

開幕まで1カ月。

前回の64年東京五輪で日本選手団主将を務めたのは小野だった。開会式では選手宣誓を行っている。

内村に大役への関心を尋ねると、「いや、ちょっとスケジュール的にきついです」と笑った。開会式翌日の7月24日、体操男子の予選は始まる。=敬称略(宝田将志)

競泳・佐藤翔馬

日本競泳界再建をかけて誕生したプールから、新たなスターが生まれようとしている。初代表として東京五輪に臨む男子200メートル平泳ぎの佐藤翔馬。競泳界の〝レジェンド〟北島康介氏らを輩出した東京スイミングセンター(東京SC)で腕を磨いてきた気鋭の20歳が、再びの「東京」で悲願の頂点を見据える。

東京SC設立の契機は、1964年東京五輪にさかのぼる。戦前、「水泳ニッポン」とうたわれ、戦後にも古橋広之進、橋爪四郎が自由形で世界記録を連発してきた日本は、自国開催の五輪では男子800メートルリレーの銅メダル1つという結果に終わった。

「悔しい記憶しかない。日本の惨敗というより、米国が圧勝した大会だった」

東京SC開設直後に指導者として入社した日本水泳連盟の青木剛会長は振り返る。18種目のうち、13種目で米国選手が金メダルをさらった。多くが10代で、50年代ごろから行われていた年間を通じた幼少教育が大躍進の背景にあった。一方、日本には幼少期の指導システムがなく、川や海で自然と泳ぎを覚えることが主流だった。

当時の日本水連名誉会長の田畑政治(まさじ)氏は66年11月、全国コーチ研修会を開催し「水泳日本の再建には、選手強化に使えるプールが東京に必要だ」と訴えた。その大号令のもと、68年6月、東京都豊島区に温水の50メートル屋内プールと50メートル屋外プールを備えた東京SCが設立され、数年後には25メートルプールと合宿施設も増設、選手強化の一躍を担ってきた。

そして2008年北京五輪で2大会連続2冠を果たした北島氏の泳ぎに目を見張り、憧れて門戸をたたいたのが佐藤少年だった。北島氏同様にキックが生み出す推進力が武器で、この2年で自己記録を5秒以上も短縮。高速化する男子平泳ぎにあって金メダルを狙えるまでに力をつけてきた。

再びの「東京」を前に、「これまで積み重ねた50数年の水泳界の成果が問われる大会になる」と青木会長。復権を託された若きトビウオは「世界記録も狙っていきたいが、本番では金メダルを取ることが一番。康介さんも金メダルを取ってきている。僕もしっかり取りに行きたい」と腕を撫している。(川峯千尋)

柔道・井上康生

柔道日本男子の井上康生監督は、リオデジャネイロ五輪で金2個を含む全7階級をメダル獲得に導き、今夏の東京五輪が監督任期最後の集大成となる。コロナ禍での開催に、選手たちと「結果以上に、希望や元気を届けられる試合を」と誓う。

--いよいよ開幕まで残り1カ月を迎えた。

「コロナ禍でできることは限られていたが、スポーツ、柔道をできることに感謝の気持ちを強くした1年だった。これまでの日常が当たり前ではないということも痛感させられた。選手たちはそんな中で、なかなか前に進めない苦しさを抱えて過ごしてきた。何とか気持ちを奮い立たせる選手たちと、五輪開催に不安を持つ世の中の人たちに乖離(かいり)があったのも事実。国民の皆さんの安心・安全は最優先だが、選手たちを何とかしてあげたいという葛藤も抱えていた。開幕まで残り1カ月。腹をくくって準備をしたいと思っている」

--コロナ禍での五輪。開催の意義をどう考えるか

「選手たちは多くの困難を乗り越え、努力を重ね、犠牲にしてきたものもあると思う。大げさではなく全てを懸けて柔道に打ち込み、支えてくれた人たちのためにもという思いで夢や目標に向かってきた。もちろん頂点を目指すが、それだけではない。選手たちは『全力を尽くす姿から、元気や勇気、明るい希望を届ける試合をしたい』と口をそろえる。開催の賛否があることは承知しているが、ぜひとも選手たちの頑張る姿を応援してほしい」

--現役時代、初出場した2000年シドニー五輪は金メダル。2連覇がかかった04年アテネ五輪はまさかのメダルなしに終わった。自身にとって五輪とは

「金メダルの栄光も、敗戦の挫折も、その後の自分を成長させてくれた。2つの経験が日本男子の監督になって選手と接するときにも役立っている。五輪を通じて生きる力を培わせてもらったと思っている」

--日本男子を率いて立つ自国開催の五輪の舞台へ。改めて目標を

「柔道はありがたいことに『日本のお家芸』と言われ、われわれの活力にもなっている。1964年東京五輪は男子4階級のみの実施だったが、半世紀以上がたち、2度目の東京五輪は男女14階級に男女混合団体も実施される。世界に柔道が広まり、世界のレベルも非常に上がっている。厳しい戦いの連続が待っているが、金メダルを目指して畳に立つ全選手をサポートし、一戦ずつかみしめて戦いたい」(田中充)

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