原信夫氏死去 ビッグバンドの元リーダー

インタビューに答える原信夫さん=2008年10月
インタビューに答える原信夫さん=2008年10月

原信夫氏(はら・のぶお=「原信夫とシャープス&フラッツ」の元リーダー、ジャズサックス奏者、本名・塚原信夫=つかはら・のぶお)21日、肺炎による呼吸不全のため死去、94歳。富山市出身。葬儀は近親者のみで行い、後日お別れの会を開く予定。喪主は長男、原とも也(はら・ともや、本名・塚原知哉=つかはら・ともや)氏。

戦後、進駐軍のクラブでジャズのレコードを聴き、演奏法を学んだ。昭和26年、ビッグバンド「原信夫とシャープス&フラッツ」を結成。ジャズ全盛期に屈指の人気を誇った。

1950~60年代には江利チエミさんや美空ひばりさんのバックバンドとして活躍。平成22年に解散するまで日本ジャズ界をけん引し、美空さんが歌った「真赤な太陽」も作曲した。昭和63年紫綬褒章、平成10年勲四等旭日小綬章。

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