勇者の物語

上田争奪戦 西武か中日か揺さぶられる阪急 虎番疾風録番外編253

西武の上田氏招聘を伝えるサンケイスポーツの1面
西武の上田氏招聘を伝えるサンケイスポーツの1面

■勇者の物語(252)

昭和55年シーズン、梶本阪急はプルオーバーからボタンありのユニホームに戻し、アンダーシャツやストッキングの色も黒から赤に変更。気分を一新して公式戦に臨んだ。だが、前期の成績は29勝34敗2分け。首位ロッテに6・5ゲーム差の4位に終わった。

後期が開幕した直後の7月25日、サンケイスポーツの1面に気になる記事が載った。『西武・根本監督、今季で勇退』『後任に上田氏獲得へ』。上田とは上田利治・前阪急監督のことである。

舞台裏はこうだ。根本監督に対し西武の堤義明オーナーは就任当時から「西武の社風に合っている」と人間的にも高い評価を与えていた。が、いかんせん成績が悪かった。54年は前期最下位、後期5位、通算最下位。この55年も前期5位。そこで球団は根本監督と話し合い、監督は契約が切れる今季を最後とし、以後はフロントに入って力を発揮する―という方針で合意した。

早速、後任監督探しが始まった。ブレイザー退団の後を受け、5月に阪神監督に就任した中西太。54年にヤクルトを退団した広岡達朗。評論家の上田利治、吉田義男、豊田泰光…。その中で根本監督は、広島の監督時代にコーチに招き、自ら〝帝王学〟を伝授した広岡を推した。だが、堤オーナーは「彼は西武のイメージに合わない」と首を横に振った。

「西武が球界のリーダーとなるためには、最高級の監督を迎えなくてはいけない。私は上田さんが適任と考えている」

堤オーナーの指令を受け、早速プロジェクトチームが組まれ上田招聘(しょうへい)へ動き出した。オーナー自身もある日、阪急の森薫オーナーを訪ね「次期監督に上田さんを―と考えています。そのときはよろしくお願いします」と前球団への〝仁義〟を通した。

一気に「西武・上田監督」が現実味を帯びてくる。だが、上田獲得に動いている球団がまだあった。中日である。

上田には「夢」があった。それは生まれ育ったセ・リーグに戻り、巨人を倒したい―という夢。そして私生活面でも「恩師」と慕う鶴岡一人元南海監督からも強く中日入りを推されていた。

西武か中日か―。上田争奪戦は阪急電鉄上層部の心も揺さぶった。このままでは〈上田が奪われる〉―と。(敬称略)

■勇者の物語(254)

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