話の肖像画

ジャパネットたかた創業者・高田明(72)(13)大一番で始まった佐世保の生活

長崎県佐世保市三川内に建てられた「カメラのたかた」佐世保営業所
長崎県佐世保市三川内に建てられた「カメラのたかた」佐世保営業所

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《昭和52年に平戸大橋が開通し、年間200万人近くもの観光客が平戸に押し寄せた。売り上げを伸ばした実家の「カメラのたかた」は翌年、佐世保市の三川内(みかわち)町に営業所を出し、初代佐世保営業所所長として赴任する。新しい仕事場はプレハブの作業所で、ここから「ジャパネットたかた」の歴史が始まった》


あのときの佐世保には大きなビジネスチャンスがあったんです。それはある宗教団体が隣町に造営していた総本山の落成式で、完成すれば祝賀行事が10日間ほど開催され、その間は全国から延べ10万人以上の信者さんが集まって総本山詣でをする。佐世保市内や周辺の市町村、さらに佐賀の名湯・嬉野(うれしの)温泉まで、近郊のホテルはすでに予約で満室でした。

兄が営業をかけて信者さんたちの記念写真と観光地での集合写真、夜の宴会などの撮影契約を結んでくれました。すべて「カメラのたかた」が担当です。「さあ、大勝負」となりました。平戸では平日でも1日4千枚の写真をプリントしていましたが、10万人分が対象となると想像がつかない。きょうだい全員にアルバイト、フィルムや印画紙などの問屋さんまで集まり、綿密な戦略を練りました。そして期間中は、総勢60人態勢で臨むことになったのです。

お店の土地は購入したものの、店舗の完成を待っていては総本山の落成式に間に合わない。そこでプレハブの作業所を急造し、現像機などの機材を入れて落成式の日に備えました。その日は壮観でしたね。全国から信者さんを乗せた大型バスが続々と到着し、何百という団体が次から次へと旗に率いられて総本山を詣でるのです。昼は門前でどんどん流して記念撮影、夜は各ホテルに散って宴会のスナップを撮る。プリントする枚数が半端でなく、プレハブは毎晩、戦場のような忙しさです。人生で一番、寝なかった時期でしたね。


《写真の販売には綿密な作戦が立てられた》