書評

『シェフたちのコロナ禍 道なき道をゆく三十四人の記録』井川直子著 切望される未来予想図

「お店を開けて予約は募る一方で、いざ来てくれるとなると責任を感じてしまうなんて、矛盾していますよね」。二子玉川にあるすし店の店主はそう述懐していた。

昨年の緊急事態宣言が発出された翌4月8日から5月末まで、「#何が正解なのかわからない」のタイトルで、煩悶(はんもん)する東京の料理人への聞き書きが投稿型ウェブサイト「note」に連載されていた。飲食店を巡り、話を聞いてまわったのは、『昭和の店に惹(ひ)かれる理由』『シェフを「つづける」ということ』などの著書もある、文筆家の井川直子さん。34軒分のテキストに半年後の現状報告を書き加えて、この本が出来上がった。

「何が正解なのかわからない」状態に陥る前、コロナ禍以前は、どの店の人も「正解」が分かっていたのだろうか? そのとおりだと思う。料理人にとっての正解は、目の前のお客の食べっぷり、飲みっぷりにある。至ってシンプルである。

たとえばマスクをすることへの意識も、1年前はこれほど違っていたのかとしみじみする。昨年2月半ばからマスクをつけていた、白金のトラットリアの店主は「多くの同業者に『ナーバス過ぎじゃないか』と捉えられた」という。マスク姿でお客を迎えたらお店の雰囲気が壊れてしまう、そういうためらいがまだあった。当時の、混沌(こんとん)とした状況が思い出される。

とはいえ、少なくとも昨年の晩秋くらいまでは、世の中が停滞しながらも、立ち向かわねばという一体感があるように感じられた。そのような雰囲気は年が明けた頃には失われ、閉塞(へいそく)感に覆い尽くされてしまっている。全ての飲食店とそこに関わる人たちは、より厳しくつらい状況に投げ込まれている。

だからこそ、渋谷のんべい横丁にあるやきとり店「鳥福」の2代目店主が語る中にある未来予想図がとても美しいものに思えるのだ。

「コロナ禍を越えたら、いつも通りに『鳥福』を開ける。きっとほとんどの人が『元気だった?』『どうしてた?』って訊くでしょうから、『お客さんと同じですよ』って答えます」

こんな平明なやりとりこそ、今、誰しもが切望しているものにちがいない。(文芸春秋・2090円)

評・木村衣有子(文筆家)

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