古典個展

高齢者優先接種に疑問 大阪大名誉教授・加地伸行

江戸川区の東京さくら病院では、予約不要のワクチン接種が行われ、数百人の高齢者が接種を受けていた=7日午後、江戸川区東篠崎(永井大輔撮影)
江戸川区の東京さくら病院では、予約不要のワクチン接種が行われ、数百人の高齢者が接種を受けていた=7日午後、江戸川区東篠崎(永井大輔撮影)

新型コロナ禍は、老生個人の直観であるが、今の状態がもう数年は続くような気がする。

そこで、昔はどうだったのであろうかと専攻する古代中国の関係文書を拾い読みしてみた。

伝統的な儒教理論では、天変地異や疫病等(とう)の出現は、政権担当者(天子)の人徳不十分に起因するので、政権交代(革命)が起こるのは当然とする。

しかしそれは、革命合理化の理屈にすぎない。中国史上、天変地異や疫病流行は絶えずあったが、そのたびに王朝交代があったわけではない。

という前提で諸記録を見ると、ほとんど毎年のようにすさまじい疫災(えきさい)が起こっている。

例えば、南宋時代。嘉定(かてい)元年(1208年、日本では鎌倉時代初期)に「大疫あり」。そして嘉定2、3、4年までその疫災が続く。その間、民の「疫死する者多し…〔政府は〕病民に振給(しんきゅう)(恵み)し、死者には棺銭(かんせん)(葬儀代)を賜(たま)う」とある。惨状、想像するにあまりある。

しかし、これは特別な記録ではない。中国史上、ほとんど毎年のようにどこかでこうした疫災が起こってきたのである。

右の南宋時代は一例で、はるか昔、西暦前においても同様であった。おそらくそのような現実を踏んで、儒教の重要古典において<為政者の不徳が原因で大疫が起こる>という理論が作られていったのであろう。

例えば、『礼記(らいき)』月令(がちりょう)に、孟春(もうしゅん)(1月)に、もし秋令(秋に発令すべきもの)を行うなどという失政があると「大疫あり」とある。以下、類例を示す。

仲夏(5月)に秋令を行わば、民(たみ) 疫に殃(わざわい)さる。

季夏(6月)に春令を行わば、風欬(ふうがい)(気管支系病)多し。

孟秋(7月)に夏令を行わば、民 瘧疾(ぎゃくしつ)(マラリア)多し。

仲冬(11月)に春令を行わば、民 疥癘(かいれい)(流行病)多し。

このように大流行病と政治とに連関があるとするのは、間接的ではあるが、ある程度は当たっている。累累(るいるい)と積み重なった遺体の記述は読むに堪(た)えない。

さて現代日本。幸いにも独裁者はいない。担当閣僚は懸命に事に当たっている。とあれば、一般にわれわれも協力できることには協力すべきであろう。その最たるものはワクチン接種。老人優先というのはありがたい話であるが、なぜ老人優先なのか、よく理解できない。85歳の老生がそう思うのである。

例えば、区役所の窓口。毎日それも一日中、多種多様な人と接する窓口の担当者には、その安全のためにワクチン接種を優先すべきではないのか。

公共性の高い職種の人々にこそワクチン接種を優先すべきである。高年齢だから優先とは筋が通っているようだが実は通っていない。こんな話がある。

孔子の古い知人が抱(かか)え足坐(あしすわ)りしていた。彼に孔子は言った。

幼(よう)にして孫弟(そんてい)ならず(無作法)。長じては述ぶる(取(と)り柄(え))なし。老いて死せず。是(これ)を賊(ぞく)(ならず者)と為(な)す、と。〔そして持っていた〕杖(つえ)を以(もっ)て〔男の〕その脛(すね)を〔ぴしゃりと〕叩(たた)けり、と(『論語』憲問篇)。(かじ のぶゆき)