話の肖像画

ジャパネットたかた創業者・高田明(72)(11) 商売のコツ学んだ「観光撮影」

販売していた宴会の写真。思い出になるということで、当時ではまだめずしかったホテル名を入れるサービスも行っていた
販売していた宴会の写真。思い出になるということで、当時ではまだめずしかったホテル名を入れるサービスも行っていた

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《長崎・平戸に戻った昭和48年、高度成長時代の団体旅行ブームは故郷にも及んでいた。観光写真の撮影・販売という25歳の再スタートは、目の回るような忙しさで始まった》


大手旅行会社が長崎を主とする西九州旅行を次々と企画していたころです。老人クラブがひいきにしていたある大型ホテルには、全国から1日500人くらいの団体が10日連続で泊まったこともありました。そのほか熊本とか宮崎のバス会社などもツアーを組み、平戸にお客さんを連れてきてくれました。団体旅行のお客さんの楽しみは昼間の観光と夜の宴会。それを撮影して店に帰り、カラー写真にプリントして翌朝、ホテルを出発する前に買っていただくのが仕事です。

そのころのプリントは全自動でなく、シアン(青)とマゼンタ(赤)、イエロー(黄)を順に色付けする方式で、カラー写真が仕上がるまで時間がかかる。兄、弟、妹、アルバイトのみんなで複数のホテルを回って撮影したものを店に持ち帰ってプリントするので、写真は平日でも4000枚近くになり、観光シーズンには暗室で朝5時までプリントしていたこともありました。宴会は夜ですから、寝る時間を削って大量の写真を仕上げる。それを翌日早朝、車に積んでホテルに持っていき、朝食前に並べるんです。

スナップははがきサイズで500円、集合写真は大きめサイズで700円、自分が写っていない写真は買ってもらえません。写っているのが1人だと売れても1枚なので、宴会では仲よしグループを撮影するのがコツでした。


《同じ団体旅行でも、写真の売れ行きに違いがあることに気づいた。戦後30年ごろ、同じ部隊や戦場を経験した「戦友会」の活動が盛んな時代で、その宿泊客が一番買ってくれたという》