沖縄返還協定締結から50年 「出撃拠点」から「防衛最前線」に

協定書に署名する愛知揆一外相(右)。左はマイヤー駐日米大使=1971(昭和46)年6月17日、首相官邸
協定書に署名する愛知揆一外相(右)。左はマイヤー駐日米大使=1971(昭和46)年6月17日、首相官邸

米軍施政下にあった沖縄の本土復帰を実現した沖縄返還協定が1971(昭和46)年6月17日に締結されてから50年が過ぎた。在日米軍基地を抱える姿は変わらないが、その戦略的位置づけは大きく変化した。当時は米軍の「出撃拠点」として機能を果たした沖縄だが、中国の脅威が高まる中で「防衛最前線」としての性格が色濃くなっている。

「安全保障上極めて重要な位置にあり、南西諸島防衛の観点からも他では代替できない」

協定締結から半世紀を迎えるにあたり、加藤勝信官房長官は11日の記者会見で米軍が沖縄に駐留する意義をこう強調した。政府は沖縄を語る際に繰り返し「南西諸島防衛」に言及するが、この言葉は50年前はほとんど使われなかった。

当時はベトナム戦争のさなかで、沖縄は米軍の出撃拠点として機能した。沖縄返還を合意した1969年11月の日米首脳共同声明で「韓国の安全」と「台湾地域における平和と安全」の重要性に言及したのも、有事の際に在沖縄米軍基地の使用を日本側が認めることを約束する意味があった。

冷戦後も出撃拠点としての役割は残っている。2001年の米中枢同時テロ以降のアフガニスタン戦争、イラク戦争では在沖縄米軍から派兵され、防衛省関係者は「基地はガラガラになっていた」と振り返る。

沖縄が出撃拠点としてのみ必要ならば、一定の米軍基地を県外移転することも可能となる。それにもかかわらず在日米軍基地の7割以上が沖縄に集中する現実は「不平等」と捉えられ、県民の反基地感情をあおる材料となった。

だが、2010年代以降は戦略環境の変化が明らかになる。急速な経済成長で自信をつけた中国は尖閣諸島(沖縄県石垣市)周辺海域での挑発行為をエスカレートさせた。さらに大量の中距離ミサイルを配備し、有事の際に米軍の来援部隊接近を阻止する戦略を採用した。台湾海峡で有事となれば、沖縄本島や先島諸島も中国ミサイルの射程圏内に入り、文字通り「対岸の火事」ではなくなる。

複数の自衛隊幹部が口にするのは在沖縄米軍の「トリップワイヤ(仕掛け線)」としての役割だ。中国が沖縄を攻撃すれば自動的に米軍を巻き込むことになり、攻撃を思いとどまる可能性が高くなる。かつて「後方」だった沖縄は「前線」として半世紀前よりも一層厳しい状況に置かれている。(杉本康士)

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