漫画漫遊

主役のいない初恋物語 田村茜著「モブ子の恋」 

(C)田村茜/コアミックス
(C)田村茜/コアミックス

年齢を重ねるにつれ、あっさりした味付けが好きになった方は多いだろう。大学生の恋愛模様を描いた本作のヒロインは、地味で引っ込み思案。普通の物語ならモブ(脇役)である子にスポットライトを当てた物語だ。刺激的なストーリーが氾濫する現代において、ここまで純朴かつ地に足のついた恋愛物語は逆に新鮮。そうそう、こういうのが読みたいんだよ…と思わず心が喜ぶ、滋味深い読み心地の作品である。

主人公の田中信子(のぶこ)(モブ子)は、地方都市のスーパーでアルバイトをする大学2年生。気を使い過ぎて逆に何もできず、自分から行動するのが苦手なタイプだ。同じ店で働く入江君に好感を抱くも、恋愛経験がないため自分の気持ちに名前をつけられない。<この気持ちを今なら恋と呼んでもいいだろうか>。なけなしの勇気を振り絞り、自分から「連絡先の交換」という最初の一歩を踏み出す。

これまで恋愛とは無縁の人生を歩んできた2人。友人やバイト先の先輩後輩に恋愛相談をし、映画館や動物園に行くなど距離を少しずつ縮めていく。舞台も登場人物も地味なのは事実だが、読み応えは十分。たとえ脇役でも、舞台の主役にはなれそうもなくても、初恋は誰にとっても特別で、ロマンチックなのだ。人生経験を重ねた読者が読めば、自身の初恋の高揚感や緊張感、心の震えが蘇(よみがえ)るかもしれない。

ほかの登場人物もそんな2人を優しく見守る。バカにしたり、だましたりする人がいないのが良い。入江君と交流を重ねることで、田中さんの表情は少しずつ明るくなり、服装もかわいくなっていく。自分のことを「つまらない人間」だと卑下してしまう女の子が、自尊心を少しずつ身に付けていく物語でもあるのだ。

下の名前で呼び合うことを決めたり、恋に浮かれて走りだしたり…。2人の関係性が変化していくのに合わせ、物語もその色調を淡く変化させていく。読者は奥手な2人の一進一退の攻防をじれったく思うも、応援したい気持ちになるだろう。ドラマチックな物語に疲れた人、浮気や不倫など世間でかまびすしい話題に胃もたれしそうな人にもおすすめ。しっとりとした梅雨空のこの季節、誠実な若者たちの青さ、爽やかさがひときわ心にしみる。既刊10巻。

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