話の肖像画

ジャパネットたかた創業者・高田明(72)(9)「虫歯」で動き始めた運命

ヨーロッパ駐在中、ハンガリーにて。ドナウ川を背に(左端が本人)
ヨーロッパ駐在中、ハンガリーにて。ドナウ川を背に(左端が本人)

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《入社2年目の夏、海外勤務となった》

ネジ製造機械メーカー「阪村機械製作所」に入社以来、契約書の翻訳などに追われていたのですが、2年目の夏、社長からヨーロッパ赴任の辞令をもらいました。念願の海外勤務、うれしかったですね。会社の拠点があったドイツのデュッセルドルフまで、アメリカ経由で渡ったのですが、ロサンゼルスで本場の英語を聞いたときには会話のスピードの違いを痛感しました。デュッセルドルフのホテルに8カ月間駐在して、納入した機械がちゃんと動いているのかをチェックするために、京都の本社から来た技術者を取引先に案内し、通訳するのが仕事でした。

ハンガリーのブダペストでは技術者の日本語を僕が英訳し、別の通訳が英語をドイツ語に、さらに4人目でやっとハンガリー語になる。そして相手の返事も3人経由で日本語に。日本では経験できない光景でした。日本が恋しいとか、食べ物が口にあわない、なんてことはなかったですね。どこに行っても順応してしまうんです。本社から来る技術者の先輩たちは決まって、日本のザーサイの瓶詰を持ってきてくれる。毎晩、ザーサイをつまみにしてウイスキーを飲んでいました。

《ポーランドにいたとき、故郷・平戸から「アゴ」(トビウオ)が届いた。「あごが落ちるほどおいしい」といわれる名産品だ》

平戸では学校のお弁当にアゴを持ってきている人が、クラスに10人はいたんじゃないかな。僕も大好物なんです。ポーランドのホテルでコンロを借りて、部屋でアゴを焼いていたら、廊下まで煙が広がってしまって…。消防車はこなかったのですが、煙とアゴの香ばしいにおいがフロアの廊下に充満し、その時は本当に慌てましたね。

アゴには大学時代にも、苦い思い出があります。女性の友達に何かプレゼントしようかなあ、と思ってアゴを渡したことがあるんです。今考えたら、同級生の女の子にアゴを渡すなんて、センスないですよね。家で開けたら「なに、これ。クサヤ?」って。きっと「変わった人」くらいに思われたんじゃないかな。グロテスクじゃないですか、魚の干物は。

《帰国は突然だった》

イタリアで社長夫妻を案内したとき、バスで移動中に居眠りをしていたことを注意されたことがありました。「車窓から風景を眺めることも人生の勉強だよ」と。この言葉は長い間、心にひっかかっていたのですが、50歳を過ぎたころに、この言葉の意味が分かるようになりました。そんなに構えた言い方ではありませんが、人にも、物にも、自然にも、そこにしかないあじわいがある。車窓から眺める風景にも、関心をもつことが視野を広げ、人生を豊かにする、ということを教わったような気がしています。

帰国の理由は虫歯です。デュッセルドルフの歯科医で抜歯してもらったのですが、痛みがひかない。出張してきた先輩に「歯が痛い」と話していたら、日本では「高田は病気になったらしい」となって帰国した。もし虫歯がひどくなかったら、海外駐在は続き、そのまま会社員としての人生を全うしていたのかもしれません。日本に戻ったあと、翻訳者をしていた幼なじみと再会しました。ここから運命が動き始めました。(聞き手 大野正利)

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