【話の肖像画】ジャパネットたかた創業者・高田明(72)(8)何となく…バイト先に就職(1/2ページ) - 産経ニュース

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ジャパネットたかた創業者・高田明(72)(8)何となく…バイト先に就職

阪村機械製作所貿易部事務所で
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《大学4年生のときに開催された大阪万博で外国人観光客と交流、異文化へのあこがれが一気にふくらんだ。海外渡航という夢に向け、本格的なアルバイトが始まった》


万博では、ESS(English Speaking Society 英会話サークル)で磨いた英語が外国人観光客に通用するのか、試したいと思って、来場していた外国人観光客に話しかけていたのですが、会話をするうちに日本と違う文化に触れてみたくなりました。そんなころ、一緒に北海道を旅行した幼なじみと話す機会があったのですが、「2年間ぐらい、一緒に海外を放浪してみよう」となったんです。高知大生だった彼は学校を休んで大阪の僕の下宿に泊まり込み、渡航費用を稼ぐため、ともに朝から晩までアルバイトをする生活が始まりました。

結果として僕は行けなかったのですが、彼は渡航しました。パリとドイツのシュツットガルト、そしてロンドンを8カ月ずつくらい、2年間でまわってきたのです。旅の最後の方で「もうお金がない」という手紙をよこしてきました。僕はそのころは働き始めていましたから、仕送りしましたね。中学、高校と一緒に勉強した仲間で、サッカーもギターも何でもできる才能豊かな男です。そして自分が決めたことへのこだわりがすごい。彼は結局、翻訳家になり、エドワード・ギボン著『ローマ帝国衰亡史』の新訳などで活躍しています。70歳を超えた今も電話で、「お互い、こだわりがあるからなあ」と話していますね。


《アルバイト先に就職した》


受験のときもそうでしたが、大学進学でも就職でも「どうしてもここに行きたい」という考えはないんです。今思うと、海外勤務を希望するのであれば、航空会社や商社などの選択肢があり、OBを頼って入社するなどのやり方もありましたが、そのときは考えもしませんでした。就職した阪村機械製作所には、中学生だった僕に英語の魅力を教えてくれた叔父が勤めており、大学4年のときに「明、手伝ってくれんか」と声をかけてくれたのがアルバイトを始めたきっかけです。