梅雨を味方にした信長 天候は歴史を動かす 鹿間孝一 - 産経ニュース

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梅雨を味方にした信長 天候は歴史を動かす 鹿間孝一

近畿地方が梅雨に入って1カ月になる。今年は記録的に梅雨入りが早かったが、明けるのも早いとはかぎらない。平年は7月19日ごろだから、まだしばらくは雨の季節が続きそうだ。

コロナ禍とダブルの憂鬱を見頃のアジサイが癒やしてくれる。淡いパステル調の色合いが梅雨空になじむ。一雨ごとに花の色が変わるため、花言葉は「移り気」。正岡子規は「紫陽花(あじさい)やきのふ(昨日)の誠けふ(今日)の噓」と詠んだ。

小さな花びらが寄り添う姿から「家族」や「団欒(だんらん)」も花言葉である。長引く緊急事態宣言で外出自粛を余儀なくされている今は、アジサイのように家族が寄り添って絆を強めるのがいい。あるいは「晴耕雨読」で読書をしようか。

気象庁の前身の中央気象台職員だった作家の新田次郎さんに「梅雨将軍信長」という短編時代小説がある。朝廷の天文所に出仕したことがあり、小鼓の音色で大気の変化がわかるという平手左京亮(さきょうのすけ)が主人公である。

桶狭間の戦いは永禄3(1560)年の梅雨の時期だった。今川義元の大軍に敗色濃厚の織田信長に、小鼓で気をうかがっていた左京亮が「おそらく今日の午後は大豪雨になります」と進言する。視界を遮る激しい雨の中、奇襲をかけた信長軍は義元を討ち取る。

天正3(1575)年の長篠の戦いもやはり梅雨の最中である。鉄砲隊の火縄が湿らぬように中休みの晴れ間を待ち、無敵を誇った武田の騎馬軍団を破った。

天下統一にあと一歩となった信長だが、本能寺の変で野望が潰(つい)えた天正10(1582)年は空梅雨だった。「殿は雨によって気を動かすお方ですが、乾気によって考えが変わる人もいる」という左京亮の忠告に、信長はちらっと明智光秀を思い浮かべた。しかし、すぐに振り払って夜遅くまで酒を飲んだ。

左京亮はもちろんフィクションだが、信長が梅雨を味方につけたのは事実だ。天候が歴史を動かした事例は少なくない。

梅雨の後半は毎年のように日本列島のどこかを大雨が襲う。5月20日から自治体が発表する避難情報が変更になり、「避難勧告」を廃止して「避難指示」に一本化された。避難所での新型コロナウイルス感染が心配でも、早めの避難をためらわないことだ。

「さみだれや名もなき川のおそろしき」

与謝蕪村の句が教えてくれる。

しかま・こういち 昭和26年生まれ。社会部遊軍記者が長く、社会部長、編集長、日本工業新聞社専務などを歴任。特別記者兼論説委員として8年7カ月にわたって夕刊1面コラム「湊町365」(産経ニュースでは「浪速風」)を執筆した。