【話の肖像画】ジャパネットたかた創業者・高田明(72)(7)「通じる英語か」万博で腕試し - 産経ニュース

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ジャパネットたかた創業者・高田明(72)(7)「通じる英語か」万博で腕試し

大学時代、幼なじみと北海道旅行に(右が本人)
大学時代、幼なじみと北海道旅行に(右が本人)

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《昭和41年、大阪経済大学に入学。英語を磨こうと、ESS(English Speaking Society 英会話サークル)に入った》

長崎の平戸島から商都・大阪へ、環境が大きく変わりましたが戸惑いはなかったです。僕はどこでも順応してしまう。大阪では焼き飯などの食べ物にしょうゆやソースをすぐかけるので、最初は面食らいました。ポテトサラダにもしょうゆをかけていたので、「さすがにこれは違うだろう」と思いましたが、まねしてみると結構おいしい。その後は抵抗なくかけていましたね。

ESSは大学で一番大きなクラブで、130人くらいが所属していました。初めての集まりに行ったら、当たり前ですが会話は全部、英語。名前を呼ばれると、みんなが「イエス、サー」と次々に立ち上がる。「ハイッ、じゃないんだ。かっこいいなあ」と改めて感じましたね。「ミスター・タカタ」「イエス、サー」と大きな声で立ち上がったのを覚えています。合宿もあって、大人数で英語漬けの毎日を送る。海で育ったので、野尻湖とか志賀高原の信州合宿は印象に残っています。ESSには没頭して、4年生では副部長になりました。

《小学校以来の友人と北海道を旅した。「カニ族」といわれるバックパッカーが若者の間で流行していた頃だ》

高知大学に行った親友と落ち合って、北海道まで行きました。合宿先の岡山から、鈍行列車で3日かけて北海道に上陸したのです。青森駅で連絡船に乗る前にカツどんを食べたのですが、それが120円だったのを覚えています。大学生協のは90円の時代でした。お金がなかったので夜はほとんど野宿で、網走では繁華街でタクシーの運転手さんに「ひと区間だけ走ってください」と頼んで郊外に向かい、降りたところでごろ寝です。知床ではテントが100個くらい張ってある浜辺で寝ていたのですが、しばらくすると近くのテントから人がきて、「こんなところで寝てはだめだよ、鳥につつかれるから」とテントに入れてくれました。

1週間近く、北海道のあちこちを回ったのですが、風呂に入ったのは2回だけで、1回目はたしか700円だった札幌の素泊まり宿で。あと1回は電車で隣り合った女性がたまたま長崎・五島の方で、「平戸出身っていうんならウチに泊まんなさい」って、その家でお風呂はもちろん、食事までお世話になりました。

《4年生のとき、大阪万博が開かれた。大学に近かったので英会話を試すチャンスとESSの友人たちとひんぱんに通い、外国人観光客に話しかけた》

万博ではアメリカ館もソ連館も行っていません。話題だった「月の石」も興味はなく、わざわざ行列に並ぼうとも思いませんでした。自分の英語が通用するのか、ひたすら外国からの旅行者に話しかけていましたね。あるとき、カナダ人女性2人組から「日本の家はどうして隣の家と屋根がくっついているんですか」と質問された。そのとき「カナダって土地が広くて、そういう家がないんだなあ」と感心しましたね。海外で異文化に触れて暮らすのもいいかな。そんな思いを抱き始めていました。(聞き手 大野正利)

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