先日、義理の両親の介護にまつわるさまざまな出来事を記した『全員悪人』(CCCメディアハウス)を上梓(じょうし)した。義理の娘の立場として、過去2年にわたって目撃し続けてきた老夫婦の老いと、彼らの戸惑い、破綻していく生活について、包み隠さず、多くを記したつもりだ。まるでミステリー小説だとの感想を頂くが、両親の変化を間近で目撃し続けた当事者の私としては、まさにミステリー小説のような、まさかの展開の連続だったと感じている。
こういったすべての出来事を、自分を主語として書いた場合、義理の娘という立場もあって負の印象がつきまとうように思われた。介護生活のスタートを余儀なくされた女性が、その苦悩をつづった一冊と受け取られることは避けたかった。だから、考えに考えて、執筆の最終段階で語り手を義母に変更した。長きにわたって認知症の義母と対話を重ねるなかで見えてきた、当事者の戸惑いや悲しみ、焦燥感や怒りを、義母の言葉を借りて伝えるという手法を選んだのだ。
認知症患者が見せる荒唐無稽な行為やそれに伴う激しい言動の裏には、必ずと言っていいほど理由がある。当事者も苦しみ、孤独を感じている。それを伝えたかった。
もちろん、両親の変化をすぐに理解できたわけではなかった。認知症と診断される数年前から、わずかな違和感に気づくことがあった。ふと見せた不安げな表情、時折見せる理由のない怒り、かたくなな言動。年をとって頑固になったものだと笑って流してしまったそんな出来事も、今考えてみれば、すべてが前兆だったと思う。
認知症のはじまりはとてもわかりにくく、曖昧だ。ある程度進行した認知症と診断されている義母でさえ、身辺の自立は完璧で、そんな義母を見て認知症と気づく人は少ないはずだ。明るく、笑顔を絶やさず、人付き合いもできている。しかし、彼女が料理をすることは、この先も決してないだろう。料理が得意で、私にもさまざまなレシピを教えてくれた義母は、今、包丁を握っても何をすればいいのか、すべて忘れてしまっている。料理という行為自体の記憶を、彼女はすべてどこかへ置いてきてしまったようだ。
老いるとは、厳しく、やるせない現実だ。肉体的な衰えだけではなく、それまで積み上げてきた人生の喜びや大切な人との絆を、人生終盤になって失う危機に立たされる。頭のなかからすっぽりと過去の美しい日々が消滅すること、愛する人の記憶が抜け落ちるなんて、残酷だとしか言いようがない。人間の一生とは、なんと波乱に満ちたものなのだろう。
認知症も介護も、決して他人事(ひとごと)ではない。誰でもいつかは老いるのだという現実を、自分に引きつけて考えることで、それまで奇妙にしか映らなかった光景が、たちまちリアルに迫ってくる。これは決して高齢者だけの問題ではないのだ。
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【プロフィル】村井理子
むらい・りこ 昭和45年、静岡県生まれ。翻訳家。平成15年、第43代アメリカ合衆国大統領ジョージ・W・ブッシュの発言をまとめた『ブッシュ妄言録』を執筆しデビュー。訳書に『ゼロからトースターを作ってみた結果』『ダメ女たちの人生を変えた奇跡の料理教室』『黄金州の殺人鬼』など。エッセーに『犬(きみ)がいるから』『村井さんちの生活』『兄の終い』などがある。