話の肖像画

ジャパネットたかた創業者・高田明(72)(5)テレビは人を幸せにするんだ

4歳ごろ、はっぴ姿で
4歳ごろ、はっぴ姿で

(4)へ戻る

《長崎・平戸島の豊かな自然の中で育った》


僕が小学校に通っていた昭和30年ごろの平戸には子供がたくさんいました。入学した平戸小は全校生徒が1800人くらい。今は400人というからさびしい限りです。当時は下校するとすぐ10人、20人と集まって、広場で缶蹴りをしたり、防空壕(ぼうくうごう)でろうそくの火をかざして天井にいる虫を退治したり。防空壕は水がシトシトと落ちていて落盤の可能性もあり、今なら絶対に入れませんよね。

近所に物知りのお肉屋さんのお兄ちゃんがいて、メジロ捕りを教えてくれた。木の皮をはがしてトリモチを作り、チューインガムみたいにベターっとさせて木の枝に塗りつけ、その近くにおとりのメジロを入れた鳥かごを置く。おとりが鳴きだしたら誘われたメジロが10羽、20羽と枝にとまり、足元の異変を感じて飛び立とうとして足を取られ、枝に逆さまにぶら下がるんです。そこを一網打尽にする。メジロは今では保護鳥になっており、考えられないですよね。


《毎春開かれる「茶市」も楽しみだった》


平戸の茶市はすごかったんですよ。商店街が1キロくらいあるのですが、そこが夜店で埋まりました。サーカスやバイクの曲芸なんかも来てましたが、僕が夢中になったのは金魚すくい。店じまいするまでずっと夜店にいて、金魚すくいのおじちゃんの横に座っていました。熊本から来られた方で、祭りが終わるとフェリー乗り場で涙ながらに見送っていましたよ。コツを教えてもらうなど、すごくかわいがってくれましたね。

先日、ジャパネットの特別番組にゲスト出演したとき、スタジオに金魚すくいが再現されていたんです。「俺、得意だよ」って試したら、6匹、7匹と簡単にすくえたんです。みんなから「破けないようにしてないか」と、忖度(そんたく)への疑念の声が上がり、試しにベテランの社員が挑戦したら、1匹もすくえずに破けた。教えてもらったコツをまだ覚えていたことに、びっくりでしたね。

あと、年に1回、母の実家近くにきていた旅役者のお芝居にもはまりました。臨時の劇場には桟敷席のすぐ横に花道があって、そこを座長がばあっと舞台に駆けて上がった瞬間が盛り上がる。大人たちはおひねりを出すのですが、舞台の周りに名前の札とともにおひねりが旗みたいに掲げられ、開演直前に例えば「花の御礼(おんれい)、申し上げま~す。たかたあきらさまよ~り、五千円なり、五千円なり。花の御礼、申し上げま~す」と、次から次へと読み上げられる。幼いながらも高揚感を熱く揺さぶられましたね。


《テレビとの出合いを鮮明に覚えている》


町の旅館で初めてテレビに出合いました。みんなで集まって山城新伍さんが出ていたドラマ「風小僧」をみたのが最初です。その後、小学3年生のころだったと思うのですが、白黒テレビが家に来た。それ以降は毎週末、20人くらいが僕の家に集まって、「月光仮面」や「怪傑ハリマオ」「隠密剣士」などをみていました。大相撲も千代の山とか吉葉山、その後は栃錦と初代の若乃花、朝潮とかの時代。不思議なことにみんな、正座してのテレビ鑑賞なんです。笑顔で帰っていく友達をみて、テレビは人を幸せにするんだな、と感じましたね。(聞き手 大野正利)

(6)へ進む