日曜に書く

論説委員・藤本欣也 香港で禁じられるガンジー

先日、香港について講演をする機会があった。2019年の反香港政府・反中国共産党デモに参加した若者たちや、香港国家安全維持法(国安法)施行後の現状に関し、香港での取材をもとに話をした。

講演後の質疑応答で、大学生からこんな質問を受けた。

「デモに行く子供に親は反対しなかったのでしょうか?」

逮捕されれば一生を棒に振るかもしれないデモ。親子の葛藤はなかったのか―。日本の若者が疑問を抱くのも当然だろう。講演当日は答える時間がなかったので、少し紹介したい。

デモの悲劇

たとえば、19年のデモ当時28歳の女性A。デモでは最前線に立ち、仲間が火炎瓶を投げるのを手助けした。しかし家族はみんな政府支持派。ある日、口論の末に母が激高して言った。

「お前が暴徒になるなんて! いっそ捕まればいいのよ、自分のせいなんだから!」

Aも生まれて初めて、母を汚い言葉でののしると、弟に言われた。「家を出ていけよ…」

Aは家を離れた。その後、外国に逃れることを決めたが、家族には「留学する」と噓をついた。永遠の別れになるかもしれないと心の中で思いながら。

当時17歳の男子高校生Bも、デモへの参加を家族に猛反対されたが、何度も前線で警察と対峙(たいじ)した。母は中国本土生まれ。いつも言い争いになった。

「中国を愛する気持ちは同じだよ。でも中国共産党を愛する気にはなれない。愛国と愛党は違うんだ」。何度言っても、母に分かってもらえなかった。

ある日、Bは警察に逮捕されてしまう。それが、母の密告によるものだと知ったとき、「自分は何もかも失った」と絶望した。保釈後しばらくは、死ぬことばかり考えていたという。

もちろん、親子でデモに参加するケースもある。「母はデモに反対ですが、父は参加しています」と話す学生もいた。

受け継がれる記憶

デモ現場で会った若者たちに「以前、他のデモに参加したことは?」と聞くと、「デモではありませんが、子供のころ、親に連れられてロウソク集会に参加したことがあります」との答えがたびたび返ってきた。

ロウソク集会とは、今月4日、香港警察が市内の公園を封鎖して開催を阻止した、天安門事件の犠牲者追悼集会のことである。1989年、中国当局が民主化運動を武力鎮圧した同事件の追悼集会が90年から毎年、香港で行われてきたのだ。

中国共産党は、香港当局を通じて追悼集会を廃止に追い込み、親から子へ天安門事件の〝記憶〟が受け継がれることまでも阻もうとしている。だが、2019年の反政府・反中デモを経験した香港人にとって、中国が問題視するような記憶は、もはや追悼集会だけではない。

デモの攻防戦が街頭から大学に舞台を移していた19年11月のこと。香港中文大で催涙弾1千発と火炎瓶200本が飛び交い、現地紙が「まるで戦場のようだ」と報じた夜があった。

翌日の構内には、焼け焦げた車が放置され、催涙弾やガラスの破片、がれきや廃材が散乱していた。その横で学生らが一心不乱に火炎瓶を作っている。

ある親子3人に出くわした。水筒を携え、遠足にでも行くかのような身なりに驚いた。小学生の息子と娘を連れた父親のC(50)はこう言った。

「今の政府がどれだけひどいことをしているかを、子供たちに見せようと思ったのです」

種はまかれた

19年のデモを通して、Cの息子と娘のような体験をした子供は無数にいるはずだ。彼ら彼女たちは今後、こうした記憶とどう向き合っていくのだろう。

中国に批判的な報道で知られる香港紙、蘋果(ひんか)日報は先月末、天安門事件の関連記事でこんな香港の若者の声を伝えている。

「天安門事件によって香港には種がまかれ、(19年のデモとして)実を結んだのです」。19年もまた、香港にたくさんの種がまかれたに違いない。

報道によると、香港の公立図書館では最近、『市民的不服従の三巨人 ガンジー、キング、マンデラ』という書名の本が撤去され、閲覧できなくなった。政権転覆を禁じた国安法違反の疑いがあるというのである。

インド独立の父のガンジー、米国のキング牧師、南アフリカのマンデラ元大統領は非暴力不服従運動によって、時の権力に激しく抵抗した闘士たちだ。

中国共産党が恐れているものは何か―がよく分かる。(ふじもと きんや)