昭和54年、西本近鉄と古葉広島の日本シリーズといえば、誰もが第7戦のあのシーンを思い浮かべるだろう。55年に「Number」(文芸春秋)創刊号で、ノンフィクション作家の山際淳司が描いた『江夏の21球』である。
だが、名勝負はそれだけではない。当時、入社1年目、初めての日本シリーズ取材で筆者が心打たれた試合をご紹介しよう。
第1戦を井本で勝利した近鉄は第2戦、鈴木がマウンドに上がった。
◇第2戦 10月28日 大阪球場
広島 000 000 000=0
近鉄 000 000 40×=4
(勝)鈴木1勝 〔敗〕山根1敗
(本)有田修①(江夏)
鬼気迫る投球で広島打線を6安打散発に抑え完封勝利。鈴木は泣きながらマウンドからベンチに戻ってきた。
「これがワシの働き場所や。最高やな。意地や、意地で投げた。ワシの意地も捨てたもんやないで…」
大エースでも初めての日本シリーズとなれば感極まり、こんな涙を流すのか―と感動した。ところが、そのあとの言葉に驚かされた。
「監督に〝どうや、見てたか!〟と言いたいわ。ワシは14年間、近鉄一筋にやってきた。弱い下のチームでね。ワシのはらわたは煮えくり返っとったんや」
なんと西本監督への〝恨み節〟。プレーオフもこの日本シリーズも第1戦の先発は後輩の井本。なんでオレやないねん―という悔しさが、この日の一球一球に込められていたのだ。
「執念というか、何クソッという気で投げた。ウチのナインにもファンにも、これから先もワシがトップで行かせてもらうと訴えたんや」
なんと正直な人だろう。
七回、2死二塁で山本浩を打席に迎えたときだ。ベンチから西本監督がマウンドに駆け寄った。
「どうする。歩かすか?」。鈴木は即座に首を振ってこう言った。
「ここは一番の〝見せ場〟やないですか。こんなところで歩かせるやなんて、ようしませんわ。勝負します」
「よっしゃ、いけ!」
江夏の21球のドラマもすばらしい。だが、筆者は鈴木の〝浪花節〟が一番好きである。(敬称略)