五輪「やってよかった」 世界から言われたい 鹿間孝一


1964年の東京五輪は「文士のオリンピック」とも言われた。新聞や雑誌を舞台に、名だたる作家や評論家がこぞって筆を競ったからである。

三島由紀夫はこう書いた。

〈オリンピック反対論者の主張にも理はあるが、きょうの快晴の開会式を見て、私の感じた率直なところは「やっぱりこれをやってよかった。これをやらなかったら日本人は病気になる」ということだった〉

時期尚早、お祭り騒ぎより他に金を使うべきだ―などの声があった。小田実は斜に構えて、五輪景気の当てがはずれたタクシー運転手に「わしがよんだわけじゃない」と語らせた。

思索の人、小林秀雄にまで五輪熱は及んだ。

〈毎日、オリンピックのテレビばかり見ていて、何もしないのである。(略)オリンピックと聞いて嫌な顔をして、いろいろ悪口を言っていた人も、始まってみれば、案外、テレビの前を離れられないでいるかもしれない〉

誰もが小林のようにテレビにかじりつき、そして三島のように「やってよかった」と思った。

2度目の東京五輪開幕が近づくが、日増しに中止、もしくは再延期論が強くなっている。

コロナ禍が収束せず、「開催すれば感染が拡大する」と言われれば、ためらう人が多くなる。そんな世論調査の数字を挙げて、テレビのコメンテーターは「国民の大多数が反対だ」と叫ぶ。野党や一部のマスコミには、中止に追い込んで菅義偉(すが・よしひで)政権にダメージを与えたいという思惑もあるようだ。

開催を支持する。「人類が感染症に打ち勝った証(あか)し」とするには早いが、世界が新型コロナウイルスと戦う心を一つにすることに意義がある。観客数の上限は決まっていないが、無観客でも仕方あるまい。開・閉会式は簡素な式典でいい。勝ち負けやメダルの数ではなく、参加した国・地域の選手たちすべての努力と挑戦に平等の敬意を払う。それがオリンピック精神である。

1964年の東京大会は、近代オリンピックの頂点だったと評価が高い。次のメキシコ大会以降、人種問題、東西対立、テロなどに翻弄され、さらには商業主義によって肥大化した。2008年の北京大会が中国共産党の露骨なプロパガンダだったことは記憶に新しい。

変質したオリンピックが原点に立ち返るいい機会だ。今度は世界から「やってよかった」と言われたい。

【プロフィル】しかま・こういち 昭和26年生まれ。社会部遊軍記者が長く、社会部長、編集長、日本工業新聞社専務などを歴任。特別記者兼論説委員として8年7カ月にわたって夕刊1面コラム「湊町365」(産経ニュースでは「浪速風」)を執筆した。