日本統治時代に大いに発展した台湾の2大農作物といえば、蓬萊(ほうらい)米に代表される「コメ」がひとつ。もうひとつは、「甘蔗(かんしょ)(サトウキビ)」である。製糖会社も次々と設立され、統治前に4分の3を輸入に頼っていた日本の砂糖は、台湾産粗糖を主として完全自給を達成。後には、満州や中国などへも輸出され、国際収支の改善に貢献した。
その礎(いしずえ)を築いた人物が、英文による「武士道」を著し、お札の肖像画にも描かれた新渡戸稲造(にとべ・いなぞう)である。
明治34(1901)年、新渡戸を台湾へ招いた総督府ナンバー2、後藤新平が、ともに明治維新時、官軍に敗れた〝朝敵・負け組〟としての悲哀を舐(な)めたことは、連載の初回(令和2年4月1日付)に書いた。