勇者の物語

山口VS山口明暗分けた「抑え」 近鉄V王手 虎番疾風録番外編242

連日の好リリーフを見せ、ガッツポーズの近鉄・山口(右)左は梨田
連日の好リリーフを見せ、ガッツポーズの近鉄・山口(右)左は梨田

■勇者の物語(241)

第1戦をエース山田で落とした阪急のショックは、予想以上に大きかった。そして第2戦―。

◇第2戦 10月14日 大阪球場

阪急 100 001 020=4

近鉄 010 040 02×=7

(勝)鈴木1勝 〔敗〕白石1敗 (S)山口2S

(本)小川②(白石)有田修①(山口)高井①(鈴木)平野①(山口)

五回に近鉄打線が爆発した。小川が1死後、阪急の先発・白石から右翼へ2号本塁打。さらに佐々木の安打などで1死一、二塁。ここで阪急ベンチは〝抑えの切り札〟山口をマウンドに送った。その2球目。快音を発した有田修の打球は左翼中段へ飛び込んだ。

阪急も八回に1死満塁で高井が左前へ2点タイムリー。1点差としなおも一、二塁のチャンスをつかんだ。だが、ここで出てきた山口にマルカーノ、河村が抑え込まれて2点止まり。両山口の出来が試合の「明暗」を分けた。

山口哲治、昭和34年4月17日生まれ、当時20歳。奈良・智辯学園から52年のドラフト2位で近鉄入団。2年目のこの年、シュートを武器に1軍定着。7勝7敗4S、防御率2・49で「最優秀防御率」のタイトルに輝いた。

ネット裏で野村克也の分析が始まった。

「近鉄の山口は抑えの条件を備えとる。①度胸②制球力③セット投法④仕上がり―どれもええ。阪急の山口やが、有田の一発は高めのストレート。しかも一番速いボールを打たれた。2年前の山口ならファウルか空振りになるタマや。それを上から叩きつけられてのホームラン。残念やがもう往年の球威はない」

山口は腕を伸ばし、上体の強さや腰の切れで投げる〝アーム投法〟。ひじや腰へかかる負担は大きかった。53年の日本シリーズ前に腰を痛めた山口には、もうかつてのような剛速球は投げられなかった。「投げ込みも十分だったのに…」。山口にとって自分の力の衰えを知らされる試合となった。

運命とは皮肉なものである。50年、阪急とのプレーオフで山口の速球に泣いた西本監督が4年後、山口で笑う。

「みんなが燃えとる。八回でひっくり返されとったら、50年の二の舞いやった」

西本近鉄が〝悲願〟の優勝へ王手をかけた。(敬称略)

■勇者の物語(243)

会員限定記事会員サービス詳細