大相撲徳俵

どん底を耐えた支援者との絆 照ノ富士、いざ綱取りへ

支援者から贈られた化粧まわしを付けて土俵入りする照ノ富士=令和2年7月、両国国技館(田村亮介撮影)
支援者から贈られた化粧まわしを付けて土俵入りする照ノ富士=令和2年7月、両国国技館(田村亮介撮影)

大相撲の大関照ノ富士(29)=モンゴル出身、伊勢ケ浜部屋=が5月の夏場所で4度目の優勝を果たした。内臓疾患や両膝のけがに苦しみ、平成29年に大関から陥落。序二段から再起し、大関復帰場所で賜杯を抱いた。闘病中はその日を生きることで精いっぱいで、本人も「引退するしかない」と思っていたほど。ここまでの復活劇は誰も予想できなかっただろう。

大関は横綱に次ぐ大相撲の看板力士で、まばゆいスポットライトを浴びる。関脇時代の月給180万円から250万円に増える。海外渡航はファーストクラスで、新幹線移動はグリーン車。東京場所では両国国技館の地下駐車場までの〝自動車通勤〟が許されるなど大関特権は多くある。

そんな好待遇から一転、番付を落としていく屈辱は計り知れない。「過去の人」とささやかれ、ちやほやしていた人は離れていく。照ノ富士は苦境に耐えて、再び日の目を見た。

だから、苦しい時期も変わらずに支えてくれた人への感謝の思いは強い。その一人が不動産業などを手がけるAHSホールディングス(横浜市)の高村明彦代表(54)だ。1度目の大関時代に知人の紹介で知り合い、一緒に食事したり、余暇を過ごしたりして親交を深めてきた。

高村さんは「モンゴルから来て、不自由な中で大関まで上がった。一気に横綱にいくかと思ったけど、ダメだった。苦しんでいる中でも、前を向いて頑張っていた」と振り返る。