本郷和人の日本史ナナメ読み

古文書と身分差㊤ 貴族がキレる「超越(ちょうおつ)」とは

九条兼実画像(法体)=模本、東大史料編纂所蔵
九条兼実画像(法体)=模本、東大史料編纂所蔵

文書のやりとりは、だいたい同レベルの階層の人間同士で行う、と書きました。だから、奉書が生まれるのだ、と。中世社会は身分の上下にセンシティブでしたから、それが文書の様式にも反映されたのです。

身分の下の人が上の人にじかに文書を書く。これは失礼なので、基本、ないわけです(どうしても聞いてほしいことがあるときは、「解(げ)」という形式で上申文書を作成します)。では、上の人が下の人にじかに文書を出す。これは別に非礼ではありません。でも普通はやりませんね。上の人の権威が損なわれるから、と考えられます。ですから、上の人は、意を伝えたい下の人と同レベルの部下に命じて、奉書を作成させるのです。

この関係を踏まえて、次の書状を見てください。


年首吉慶等、幸甚々々、抑身進退事、旧年公氏候て申了、而其後又左府一位に叙せられぬ、摂関のならひ先例位次によらずといへども、沙汰次第、頗仰天、関東御芳言をたのみて朝恩を期するところに剰今超越におよぶ、是非に迷者欤(か)、生涯安否御計之外、弥勿論、委細難尽紙上欤、為之如何、可有賢察之状、如件、

正月十一日 (花押)

相模守殿


文書の大意は以下のごとくになります。

私の昇進について昨年申し上げましたが、先頃、左大臣の位階が従一位に上昇しました。摂政・関白への任官は位階の高下の順ではないとはいえ、仰天いたしました。昇進のことについて鎌倉幕府の推薦を頼みにしておりましたのに、ただいま超越されてしまってすっかり困惑しております。摂政・関白への就任の件、なにとぞよしなにお取りはからいくださいますように。

文書を書いた人をAさんとしましょう。Aさんは花押(サイン)を書いた人で、この人と左大臣とは、摂政・関白の座を争うライバルのようです。それで、左大臣が先日、Aさんを超えて、従一位に叙せられた、というわけですね。

詳しい検証は省きますが、この状況にもっとも良く適合する事例は次の組み合わせだと考えられます。

A→正二位、前右大臣 九条忠家

左大臣→一条家経

年次→文永7(1270)年

『公卿補任(くぎょうぶにん)』で確認すると、この年の正月5日に、左大臣の家経は正二位から従一位に昇叙されています。忠家にしてみると、先を越されたわけで、こうした状態を貴族は「超越」(読みは、ちょうおつ、のようです)と呼び、何よりの恥と感じていました。

この文書から、超越の細かな中身が分かります。現代で超越というと、下の立場の人間が一足飛びに自分を越えていったとき(たとえば役職のない若手が、係長の自分を差し置いて、一気に課長になったなど)にこの語を使いそうですが、それだけではない。2人が同格だった。その1人が先に昇進した。こういう場合でも、置いていかれた側は「超越された」というのですね。

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