話の肖像画

「ガツンときた沖縄」を映画に 演出家・宮本亞門⑰

映画監督をすることが決まり、記者会見で=平成9年
映画監督をすることが決まり、記者会見で=平成9年

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《「タレントまがい」と批判されたり、思うような評価が得られなかったり…。30代後半からしばらくは舞台から離れることに。そして、沖縄と出合う》


ちょっと精神的にもつらくなり、とにかく「(舞台は)一回休ませてほしい」と事務所に頼みました。自分を見つめなおしたいと思ったのです。

全部スケジュールをすっ飛ばして沖縄へ行ったら、すっかりハマってしまった。壮大な自然や精神性、伝統文化、音楽…。その強さと根源に触れた。歴史や戦争についても徹底的に調べましたよ。そして、ついには映画監督として沖縄を撮ることになります。


《1960年代、ベトナム戦争時の沖縄をテーマにした映画『BEAT』(平成10年公開)はそんな状況でスタートした》


当時の沖縄…ベトナム戦争へ向かう米兵が最後に寄る場所でした。「死ぬかもしれない」という恐怖感。おカネを使い果たし、沖縄が異常ににぎわった時代。強いエネルギーと壮大なカオスがそこには渦巻いていた。そうした社会に翻弄されながらも、負けずに生きていく人々に僕はグッときました。関係者100人以上からインタビューをして、詳しい話を聞きました。僕が「ガツンときた沖縄」を映画で描きたいと思ったのです。

残念ながら興行的には振るいませんでした。僕はもともと、ゴダールのような(難解な)映画が好きなのです。だから、公開も小劇場でやりたかったのですが、プロデューサーはどうしても全国展開の大劇場でやる、という。「一般には理解されにくいのではないか?」と思いましたが、案の定でした。でも、ベネチア映画祭に招待されたのはうれしかった。映画監督はとても面白かったし、また映画を撮りたいですね。