勇者の物語~「虎番疾風録」番外編~田所龍一(239)

大きな贈り物 守備力がなかった「まじめな男」

ヤクルトのチャーリー・マニエル外野手
ヤクルトのチャーリー・マニエル外野手

ヤクルト時代のマニエルの成績は、入団した昭和51年こそ11本塁打に終わったものの、52年は42本、97打点。53年は39本、103打点と活躍している。

練習嫌いで素行が悪かったわけでもない。むしろ監督の言葉にはよく従いまじめな選手。こんな逸話が残っている。

ヤクルトは48年6月に大リーグからジョー・ペピトーンという選手を獲得した。ところがこの男、超が付くほど素行が悪かった。「アキレス腱(けん)が痛い」と試合を欠場して赤坂のディスコで一晩中踊り狂っていたり、「離婚裁判に出る」といって勝手に帰国したり。翌年はオープン戦が始まっても来日せずついに解雇。

「このままでは日米野球関係に悪影響が出る」と危惧したドジャースのオマリー会長が、51年に「まじめな選手だから」とヤクルトに紹介したのがマニエルだった。ヤクルト1年目、オープン戦で広岡監督が未調整のマニエルを途中交代させると文句を言ってきた。広岡は―。

「君の言い分はよくわかった。本調子でない選手をメンバーに加えたのは私が悪かった。途中交代させて恥をかかせて申し訳なかった。これからは、君が自信を持ってプレーできるまで使わないつもりだから、チームのことは心配せずに調整に励んでくれたまえ」

広岡監督ならではの皮肉たっぷりな言葉。普通なら腐ったり監督に食ってかかるところ。が、マニエルは「ボスの方針はよくわかった。チームに迷惑をかけないよう日本式に特訓して早く調子を上げるから見ててほしい」と真剣に練習に取り組んだという。

そんな男がなぜ「放出」に―。それは守備力のなさだった。マニエル自身も入団当初から「オレは守備には自信がない。だからその分、バットでお返しする」といっていた。だが、広岡野球にはその理論は通じない。53年のシーズン中、人を介して広岡監督にこう申し出た。

「オレはヤクルトが好きだ。でも、これ以上、守備でチームに迷惑はかけたくない。指名打者のあるパ・リーグへトレードに出してほしい」

その年のオフ、近鉄への移籍が決まった。阪神の主砲・田淵の獲得を断念し、意気消沈していた西本監督には、天から降ってきた〝大きな贈り物〟となったのである。(敬称略)