緊急事態宣言でデモ困難…在日ミャンマー人が語る「抵抗」

ミャンマーの国旗を掲げ、国軍への抗議デモをする関西在住のミャンマー人たち=4月、大阪市内(参加者提供)
ミャンマーの国旗を掲げ、国軍への抗議デモをする関西在住のミャンマー人たち=4月、大阪市内(参加者提供)

国軍によるクーデターから6月1日で4カ月となるミャンマーでは、民主派を支持する市民への弾圧が今も続く。日本に住むミャンマー人の中には抗議デモを続けてきた人もいるが、新型コロナウイルスの感染拡大で大規模なデモや集会の開催が困難になっている。「若者の命がけの抵抗を、どうか日本の人にも知ってほしい」。取材に応じたミャンマー人青年2人が、思いを語った。(石川有紀)

28日午後、千葉市で行われたサッカーワールドカップ(W杯)アジア2次予選。日本代表と対戦したミャンマー代表の控え選手の一人は国歌斉唱の際、抵抗の意思を示すサインである3本指を突き出した。スタジアム周辺では、在日ミャンマー人らが国軍への抗議活動を行った。

「海外でも抵抗を示せば、帰国したら拘束される」。大阪市で建築を学ぶ専門学校生(24)は、バイト帰りにこのニュースを知り、同胞の覚悟をおもんぱかってつぶやいた。

危険を承知で関西でのデモに参加してきた。きっかけは、現地の友人から《世界にミャンマー市民が不当な抑圧を受けていると伝えて》とのメッセージが届いたことだ。3月には、高校の同級生が国軍の銃撃で死亡したとSNSを通じて知った。同級生には妻と、生まれたばかりの子供がいた。

「軍は武器を持たない市民を実弾で残酷に殺している。自分より若い世代に軍政の『暗黒時代』を経験させたくない」。それが専門学校生の切実な思いだ。

■「軍政下で発展ない」

大阪城公園(大阪市中央区)で2月7日に初開催された抗議デモには、SNSでの呼びかけに応じるなどし、400人を超える在日ミャンマー人らが集まった。参加者の一人で大阪府富田林市の部品工場で働く会社員男性(26)は「こんなに同胞がいたのかと驚いた」と話す。

ミャンマーは1988年にも、国軍がクーデターで政権を掌握。会社員は「88年のクーデターを経験した親世代から、民主化できなかった後悔を聞かされてきた」という。

専門学校生と会社員は2人ともヤンゴン出身で、軍政下で小学校から高校まで通った。教師が十分な授業をせずに有料の私塾に勧誘することが横行し、軍の統制下にあるテレビ番組を見て育った世代だ。軍に拘束されるとして、夜間の外出もままならない状況だったという。会社員は「軍政下では情報が統制され人権がない。国が発展しない」と語った。

そんなミャンマーの転機となった2015年を、2人ともよく覚えている。同年の総選挙でアウン・サン・スー・チー氏率いる国民民主連盟(NLD)が大勝し、翌年に新政権が発足。その後、若者の間にスマートフォンが普及し、国内外の情報に自由にアクセスできるようになった。

専門学校生は「民主化で私たちは世界を知った。人権と自由のない国には戻れない」と語気を強める。

■コロナ禍の活動模索

ほぼ毎週続いた関西での抗議デモについて、2人は「コロナ下で大勢集まり、長い列をつくって、日本の人に申し訳ない思いだった」と振り返る。だが行進を見守る日本人の中には、3本指でサインを送って賛意を示したり、寄付金を届けてくれたりする人もいたという。

ただそうしたデモも、4月下旬からの3度目の緊急事態宣言を機に開催を自粛。緊急事態宣言の延長で、その状態はまだしばらく続くことになった。2人は「若者たちの命がけの抗議は、クーデターをやめさせるまで終わらない。日本の人にも分かってほしい」。母国の未来のために何ができるか、宣言解除後の活動を模索している。