文芸時評

6月号 漱石連想させる写生文 早稲田大学教授・石原千秋

文学理論では描写はこうだ。物語の時間が進行しない「木の葉が赤く染まっている」が描写、少しでも時間が進行する「木の葉が赤く染まっていく」なら記述。「貝に続く場所にて」は、圧倒的に描写テイストだ。だから、これを「厚塗りの絵」(『虞美人草』の「厚化粧」という批判を踏まえている)として評価しなかった松浦理英子はきちんと読めている。あとは好みだ。「『写生文』の新機軸となった」(漱石は写生文派だった)として「傑作」と評価する島田雅彦の選評は秀逸。読者の時間をたっぷり奪う「貝に続く場所にて」は秀作だ。

「鳥がぼくらは祈り、」は「一人称内多元視点」(松浦理英子)を用いて、地方都市(熊谷)を舞台とした懐かしきケータイ小説テイストで、4人の高校生のやや平凡な日常を書いた小説。文学理論的には、語りが控えめで情報量を多く感じる「示すこと」ではなく、情報量より自己顕示欲の強い語りが特徴の「語ること」系の文体。いくらでも先駆者はいる。2歳の「ぼく」がいまに向かっている時間の錯綜(さくそう)も仕掛けられていて、あまりに未完成なので可能性を感じてつい受賞作にしたくなる作品だ。実際、悪くない。

ただすべて出し切っていて、どちらも次が書けるイメージがわかないのだが―。

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