部数減でも「リサーチ力」で存在感 女性ファッション誌「ノンノ」創刊50年の舞台裏

アンアンとともに、若い女性向けファッション誌の草分けだったノンノ ©ノンノ創刊号1971年6月20日号/集英社 撮影/増渕達夫
アンアンとともに、若い女性向けファッション誌の草分けだったノンノ ©ノンノ創刊号1971年6月20日号/集英社 撮影/増渕達夫

女子大生をターゲットにファッションやライフスタイルを発信する雑誌「non‐no(ノンノ)」(集英社)が創刊50周年を迎えた。近年雑誌の発行部数が激減するなか、SNSなど紙に頼らない情報発信にも力を入れ、女子大生の根強い人気を維持している。半世紀にわたる健闘の舞台裏を探った。

転換期に誕生

昭和46年5月に刊行された創刊号。フランスのブランド「エマニュエル ウンガロ」の鮮やかな衣装をまといポーズを決める外国人モデルが表紙を飾った。

時代は大阪万博(45年)やマクドナルドの日本1号店がオープン(46年)した高度経済成長期。戦後生まれの団塊の世代が20代の若者になっていた。

甲南女子大の米澤泉教授(ファッション文化論)によると、当時、ファッションを扱う雑誌は、主婦向け雑誌や洋裁を指南する服飾雑誌、女性週刊誌が中心だった。若者に向けて45年に平凡出版(現マガジンハウス)から創刊された「anan(アンアン)」と翌年創刊のノンノは、若い女性に大きな影響を与えたという。

「洋服は自分で作るのが主流だった時代から、おしゃれな既製品が店に並ぶようになる転換期だった。何というブランドの服が、どこにいけば、いくらで買えるのか。2誌は既製服の情報カタログとしての役割も果たしていたのではないか」と米澤教授は話す。

ファッションだけでなく、街歩きや旅行特集も人気コンテンツに。アンアンやノンノなどを手に旅をする女性は「アンノン族」と呼ばれ、観光地がにぎわうブームも巻き起こったという。

スマホ台頭で激減

「最も売れたのは平成9年1月の合併号。150万部を超えたことを覚えています」。そう語るのは、当時もノンノ編集部に在籍し、現在は同誌編集長を務める俵理佳子さんだ。

そのころの読者層は、団塊ジュニア世代。人口のボリュームゾーンにあたるが、雑誌が売れた要因はそれだけではなかったと振り返る。

「女の子たちが少しでもかわいくなりたいという向上心を持ったり、ファッションを意識したりすることが当たり前になった時代だったように思います」

近年は一転して雑誌が売れなくなった。大きな要因の一つに、スマホの普及があるとみられる。

総務省の通信利用動向調査によると、インターネットを使う際にスマホを利用する20代の割合は、平成23年の44・9%が、24年には70・6%、27年には90%を超えた。

一方、雑誌の発行部数は反比例するように激減。日本雑誌協会が公表している1号あたりの平均印刷部数によると、女性ヤング誌のジャンルで部数トップのノンノでも、23年1~3月期に52万部だったのが、今年同時期は12万部と最盛期の10分の1を下回る。

女子大生向けの他誌も傾向は同じで、「JJ」(光文社)は昨年12月23日発行の2021年2月号をもって月刊発行をやめ、事実上の休刊になった。

米澤教授は「東日本大震災以降、価値観やライフスタイルが転換したことも背景にある」と指摘。「最近では環境問題を意識して、新しいものを買うことだけがおしゃれじゃないという考えも広がった。新しいファッションをどんどん紹介する従来の雑誌の作り方では難しくなっている」と語る。

女子大生に影響力

そうした中、俵編集長が力を入れるのは、ノンノがこれまでも大事にしてきた読者への丁寧な取材だ。コロナ禍の大学の授業のあり方、アルバイト、サークル活動の現状など、月に数回聞き取りを続ける。「日本一大学生に詳しいシンクタンク」を名乗るほど、リサーチ力には自信を示す。

「最近では、オンラインで映えるメークについて、『画面では色はだめだけど、光なら拾ってくれる』といった意見を聞き、なるほどと思った。『その情報、知りたかったんだよね』というツボを押すには、読者の声を拾い続けるしかありません」

インスタグラムやユーチューブなどのデジタルコンテンツも充実し、デジタル版を含む雑誌の販売部数、ウェブサイトのユーザー数、SNSのフォロワー、メールマガジン会員の合計人数で表す月刊トータルリーチ数は560万人を数えるという。

俵編集長は「SNSはまだまだ活用できる。マンパワーを割き、51年目のテーマとしてやっていきたい」と話している。

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