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消えゆく日本人の言葉 裏千家前家元・千玄室

茶道裏千家の千玄室前家元
茶道裏千家の千玄室前家元

以前この欄で、新しく使われるようになった言葉がそのまま定着し辞書に掲載されることもあると書いたが、反対に辞書に載っている言葉で、一般に使われることが少なくなった言葉もある。

「お口に合いますか」もその一つだと思う。

グルメガイドで星がいくつ付いているとかいわれるお店は、予約が取りにくいとの話も聞く。それほど、皆が食べたいと願うようだが、本当に自分自身で美味(おい)しいと思って食しているのであろうか。テレビのグルメ番組では、一口、口に入れた途端に「美味しい」と言うが、端から見ていると本当に咀嚼(そしゃく)し味わっているとは思えぬ早さである。世の中には珍味と言われるものや美味しいものがあふれているが、それを全ての人が好きかというと、これは別で、そもそも人の味覚とは子供の頃に食べたものに左右されると思う。いわゆるお袋の味であり、それが口に合う、合わないということにつながる気がするのだ。

私は京都で生まれ育ったが、母は仙台の出身でありそちらの味覚も備わっているし、何より2年の軍隊での暮らしでどのような味でも受け入れられるようになった。また、この頃は手軽に出来合いのものを購入することができるため、ことさら手作りにこだわる必要はないようである。しかし、やはりそれぞれの家庭で受け継ぐべき味が消えていきそうになっていることは、惜しいことだと思う。同じように、優しく響き、趣がある日本人らしい言葉遣いも消えていきそうで寂しい気がする。

ほかにも前々から、ずっと気になっていることがある。茶事(ちゃじ)で用いられる「懐石」が、「会席」と同じような意味で用いられていることである。

新型コロナウイルス感染で正式な茶事が催されることがほとんどなくなったが、この頃は8畳以上の広間で薄茶、濃茶をいただき、点心と呼ばれる軽食を召し上がる、いわゆる「大寄せの茶会」を思い浮かべ、茶道とはそのようなものと思われる方は多いのではないだろうか。

しかし、茶道の本来は「茶事」を催す、即(すなわ)ち一座を建立(こんりゅう)することである。茶事とは、お茶を差し上げたい方を正客(しょうきゃく)とし、お話が合いそうな方を相客(あいきゃく)とし、5名くらいで一座建立するものである。この折、招いた主人は「勝手を見繕いまして粗飯を差し上げます」と挨拶(あいさつ)する。このとき出されるのを「懐石」という。勿論(もちろん)、心を込めて用意したものを差し上げるのだが、懐石は美味を求めるものではないし、量も後のお菓子やお茶にひびかぬように心がける。料理屋で見かける「会席」とは内容もまるで異なるものなのだ。

懐石と会席が同じものと思われているのは本来の意味が本末転倒しているように思われる。懐石は、その字の如(ごと)く禅宗の僧が修行中の空腹を抑えるために、温石(おんじゃく)で腹を温めたことから名付けられたものである。私も僧堂での修行中には、たき火の中に入れ温めた石を布きれで巻き、腹に当てずいぶんと助かった。今では良き思い出である。 (せん げんしつ)

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